下山ワタル|ピーグラフ

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2004年のイスタンブールメモ

 
トルコのイスタンブールに観光で約一週間滞在したのは2004年、いまから12年前のことだった。結婚して最初の夫婦旅だったので、事実上の新婚旅行ということになる。街のあちこちで見た美しい風景や人々の優しさが、いまだに脳裡に焼き付いている。そんなイスタンブールの平穏だった日常を壊してしまいかねない出来事が、ここ数年、とくに今年に入って立て続けに起こっていることに心を痛めている。

当時の旅行記「イスタンブールメモ」がハードディスクに残っていたので、今回ネットにアップしようと思う。おみやげと一緒に、仲の良かった人たちに渡す目的で書いた文章だった。特別に面白い内容やメッセージ的なことが書かれているわけではなく、旅を通して体験したことや感じたことがただ淡々と記されているだけだが、あの頃のイスタンブールの空気がなんとなく伝わるのではないだろうか。

文中でも少し触れているが、この時期にも既にテロは存在していた(シリア国境やアンカラ方面など)。しかし、9.11から3年後、2004年のイスタンブールはまだ、トルコ建国から続いてきた世俗主義とイスラム的価値観が共存する、ピースフルな空気に満ちていたように思えた。

12年後の現在、イスラム原理主義へと扉が閉ざされてゆく状況の裏には、中東情勢やEUとの関連など、反動、とはひと言で片付けられない様々な問題が横たわっているのだろう。トルコに限らず、イギリス、日本、アメリカ、アジアからヨーロッパまで、同じ色の雲が世界中を覆いつつあるのを、ひりひりした予兆とともに感じている。

いまのトルコや、この時代に対して言いたいことは山のようにあるけど、あえて何も考えていないかのように口を閉ざしておこう。あのとき、イスタンブールの街のあちこちで無数に見かけたネコたちがそうしていたように。
 

 

イスタンブールメモ(2004)

イスタンブールを一週間ほど旅してきました。妻がイスラム教とキリスト教の歴史について勉強したのがきっかけで、トルコの美しさに興味を持ったこと。こんな時期だからこそイスラムの文化に触れてみたいと思ったこと。たまたま出たばかりの旅雑誌「ニュートラル」(現・TRANSIT)のイスラム特集があまりに素晴らしかったり、「ミュージックマガジン」でもトルコ他の地中海音楽が紹介されていて、タイミングを感じたのでした。

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旅の概要

イスタンブールはトルコ最大の都市で、アジアとヨーロッパにまたがる東西文化の交差点。ボスフォラス海峡をはさんで、歴史的建造物とバザール(市場)がぎゅうぎゅうに詰まった旧市街と若者文化が栄える新市街があるヨーロッパ・サイド、住宅地の多いアジア・サイドに分かれる。

今回宿泊したのは、有名なブルー・モスクやアヤソフィアのある旧市街のスルタン・アフメット地区。「深夜特急」で沢木耕太郎が泊まった宿のすぐ近く。旅行中はずっと晴れていて、最高28℃/最低18℃の過ごしやすい夏の気候。公用語はトルコ語で、観光地では英語もほぼOK。移動手段はトラム(路面電車)、国鉄、バス、タクシー、メトロ、そして船。
 

街の印象

ヨーロッパの合理性(街全体の近代性)とアジアの猥雑さ(屋台、物売りが多い)の両方が絶妙にブレンドされている。ヨーロッパの人々にとってはアジアの雰囲気を手軽に体験できる最も近い場所とあって、たくさんの旅行者が観光で訪れていた。日本人観光客も多かった。トルコ人が日本人に対して親切といううわさは本当で、困ったとき、商売人にも普通の人にも何度も助けられた。

テロのことは行く前からずっと気がかりだったが、暮らしている人々の表情はいたって明るく平和な雰囲気に感じられた。ただ、人が集まる繁華街や観光地を中心に市内の至る所で膨大な数の警官や軍人の姿が目に付いた。穏やかで威圧感はあまりなく、守られている安心感の方が強かった。
 

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モスク

市内にはモスク(トルコ語でジャミイ)と呼ばれるイスラム教の礼拝堂が500以上あり、人々が毎日礼拝に訪れる。一般の人も入ることができ、無数のタイルやイスラム絨毯の紋様、アラビア文字のカリグラフィ、ステンドグラスが多くの観光客を魅了する。朝や夕方など決まった時間に市内のモスクのスピーカーから一斉に流れるコーランの歌声も美しい。

モスクは一つ一つ美しさが違い、観光客が一番多いブルー・モスクのほか、青いタイルがひときわ美しいリュステム・パシャ・ジャミイ、絨毯や窓枠などが珍しいモスグリーンで統一されたオルタキョイ・ジャミイが特に印象に残った。イスラム建築の様式はモスクの他にも、古い建物や博物館など至る所で見ることができる。イスラム様式とヨーロッパの近代建築が複雑に絡み合うところが、イスタンブールの街の面白さだった。
 

バザール

旧市街には数多くのバザール(市場)がある。土産物や宝飾品から生活用品まで揃うグランド・バザール、食品や香辛料が多いエジプシャン・バザールのほか、革製品、靴、ジーンズ、大工道具、ペット用品のバザールなど。店は業種ごとにほぼ一箇所にかたまっていて、たとえば靴の市場だったら靴屋が100店舗以上並んで「靴・靴・靴……」、ジーンズの市場も同様に「ジーンズ、ジーンズ、ジーンズ……」という感じ。それらの店の合間にケバブなどのファーストフード屋があったりして、バザールはイスタンブールでもとりわけアジアの匂いを強く感じる場所だった。

どこも香辛料の匂いが強烈に漂い、鼻が弱いので鼻炎によるくしゃみに悩まされた(帰国したらすぐ治った)。
 

食べ物

トルコ料理の特徴は、油っこい(オリーブオイルを多用するため)、乳製品 (ヨーグルト)をよく使う、サバなどの魚がおいしい、野菜が多い、豚肉は宗教上食べられず羊肉や鶏肉が使われる、辛さなどの刺激は少なくまろやかさがある、など。世界三大料理に数えられることでも有名。

屋根のある店で食べる料理よりも、屋台で売っている安いファーストフードを外でほおばる方がおいしく感じられた。日本でも見かけるケバブサンド。「深夜特急」にも出ていた、焼いた(or揚げた)サバと野菜をフランスパンのバケット半切れにはさみ、レモン汁と塩をたっぷりかけて食べるパラムート(通称サバサンド。これがベスト屋台食)。ゴマがたっぷりついた香ばしい揚げパンのシミット。薄くクレープ風に焼いた丸い生地で香りのある草を巻いて食べるラフマジュン。どれもおいしいうえに、日本円にして100円程度の安さ。

クムカプという港の近くのレストラン街では魚料理がおいしいと聞いて、食べに行った。シー・バス(店のおじさんは日本語で「スズキ」と言っていた)をトマトソースとマッシュルームで煮込んだ料理が絶品。ほかにも、いろんな種類の料理をバイキング風に選んで皿に載せてもらえるロカンタ(トルコ式食堂)がやさしい家庭料理風の味で良かった。トルコのレストランではパンが食べ放題。唯一、ヨーグルトを使った料理とヨーグルトドリンクのアイランだけはどうしても苦手だった。

飲み物ではトルコ紅茶のチャイ。日本で一般に知られているインド風のスパイシー・ミルクティーではなく、少し濃いめの紅茶。アップルティーが特においしい。専用のグラスと皿で出てくる。絨毯屋などのお店ではお客に気前よく振る舞われる。トルコ式コーヒーはエスプレッソやベトナムコーヒーに似ていて、ちょっと苦いので水とセットで出てくる。コーヒーの挽き粉が沈むまでしばらくおく。夏は暑いため、街を歩くにはミネラルウォーターが必須で、売店で500mlのペットボトルが30円、1.5Lが50円。スーパーでまとめ買いすればもっと安い。コーラ350mlは70円。

デザートでは、日本でも「トルコ風アイス」として有名なのびるアイスのドンドゥルマ。ご飯粒の入ったライスプリンなど。ターキッシュ・ディライトという別名がある、トルコの伝統的なお菓子のロクムも有名。でもデザート・お菓子系はどれも激甘。
 

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音楽

街から自然に聞こえてくるトルコ語のポップスが面白かった。ヒップホップやトランスをベースにトルコ語のこぶしが効いたヴォーカルが乗り、ちょっと昔のバングラビートが進化した感じ。でも欧米の借り物でなくオリジナリティが感じられる。

日本では演歌を聴くような世代がダンス系の音楽を普通に聴いていた。街でタクシーを拾ったとき、中年の運転手がJ-WAVE的なFMの最新トルコポップスを爆音で流していたり、民芸品屋の親父がトルコ語のラップを聴いていたり。狭い観測範囲だけど、日本のような「高年齢の人は演歌、ファミリー層はニューミュージック、若者はJ-POPやアイドル」といった年齢・世代別のマーケットの棲み分けがトルコには少ないように感じられた。日本でいえば、氷川きよしが演歌ではなくEXILEやChemistryのオケに乗せてあの調子で歌ったら、世代を越えて爆発的にヒットするかも、みたいな感じ。

CDショップは、銀座っぽい新市街のイスティクラル通りを中心に大きな店が何軒か。伝統音楽を扱う小さな店も多数。HMVやTOWERなど外資系チェーンは無し。洋楽よりドメスティックが強く、メディアはCDとカセットが半々。海賊盤もコピーコントロールCDも、見た限りでは皆無だった。偶然入ったショップの店員はとても親切で、ぼくのCD探しに付き合い、その場で新品の封を開けて試聴させてくれた。トルコ語のヴォーカルものとアンビエント/トランス系を6枚ほど購入。1枚が最低500円から高くても1000円台。
 

アート

歴史的建造物のトプカプ宮殿アヤソフィアは博物館になっていて、収蔵品やモザイク画などを展示していた。

今回現代アートには期待していなかったが、偶然立ち寄ったアヤイリニという巨大なキリスト教会跡で、トルコ〜ギリシャの現代美術家の展示を見ることができた。絵画、写真、立体作品など。イスタンブールでは2年に一度「イスタンブール・ビエンナーレ」という現代美術と音楽の祭典が開かれていて、もともとアートの盛んな場所。残念ながら今年は会期ではなかった。

古本蚤の市も一応のぞいてみたが、ペーパーバックや教科書のお古など実用的な本が中心で、特に目を引くものはなかった。

 
トルコの写真家Nazif Topcuoglu(www.naziftopcuoglu.com)の作品。
少女たちが図書館で写真について学ぶ「Teaching Photography」シリーズ。
 

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ファッション

トルコ人は美しい。男性はがっしりとたくましく、女性はぴしっと締まっている。グラマーとかマッチョでなく、余計な物が付いてなくて骨格と姿勢が良い(肥満の人からもそれを感じた)。帰国後、電車や街で日本人を見て、その体格のあまりの違いに失望した(他人のことは言えない)。

服の色で目に付いたのはターコイズブルー。日本で流行っているグリーンぽい青(エメラルドグリーン)ではなく、トルコ石の青。今年の流行色なのか、トルコだからなのか、とにかく目立っていた。ターコイズブルーはトラム(路面電車)の外装や公衆電話など街の各所で使われていた。

女性はイスラム正装の割合が半分以下くらい。パシュミナ(頭にかける布)と長袖コートで色を合わせたりして、おしゃれを楽しんでいるようだった。
 

ハマム
 

 
ハマムとは、早朝から深夜まで営業しているトルコ式風呂。イスタンブールを発つ朝に行った。サウナ風の暖かいドーム式の部屋で30分ほど横になっていると、屈強なおじさん(女風呂は女性)がやってきてアカスリや体洗い、マッサージをしてくれる。マッサージは死ぬほど痛く、大声で叫んでしまった。顔や頭を洗うとき、顔面に容赦なく石鹸入りのお湯をぶっかけるので、途中でお湯を飲んでしまい、マッサージの衝撃と相まって息ができなくなりパニック状態に。おじさんの「うがいをしろ」というポーズを真似して何とか回復した。あとから思えば笑い話だが、幼い頃海で溺れかけたとき以来のパニック体験を通して、精神的にかなり強くなれた。

実は旅行直前に珍しく突然腰痛になってしまい、旅行中も痛みが引かず、日本に帰ったら整体に行こうとずっと思っていた。しかし、ハマムから出ると不思議なことに腰の痛みがすっかり消えていた! この日ハマムで治るために神様が腰痛にしてくれたのでは?と思ったほどだった。

ハマムのマッサージは日本のように時間をかけて揉むやり方ではなく、力任せに要所をつかんではひねる一瞬勝負。怪獣のように無神経に首や腕をぼきぼき鳴らし、太股の内側などを骨が折れるかと思うほどの強さで押して短時間でおしまい。強い力を加えているのにもかかわらず、マッサージ自体の痛みは後に引くことなく全身に心地よいしびれが残った。
 
 
トルコ人から学んだこと

一切れのスイカがそこにあるとして、種が入っているから食べないというのはナンセンスだし、我慢して種まで食べるのも同様にナンセンス。とりあえず口にして味わって、あとで種など不要な部分があれば自然に吐き出せばよい。そんなコミュニケーションにおける摂理みたいなものは仮説として頭ではわかっていたつもりだったが、今回トルコ人とのコミュニケーションを通して、身体で理解することができた。というか身体はすでに知っていた。

ハマム体験もそうだったけど、今回の旅は「身体」がキーワードだった。イスラムの歴史や建築、図案の美しさも頭ではなく身体の方に詰め込んできたので、これからじわじわと何かの折にしみ出てくるのではないかと思う。あとは、少々お節介に思われてもとにかく伝えることなど。
 

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おまけ

●イスタンブールはネコの街。市内あちこちでネコが寝ていた。
●TukTukCafeTシャツ(当時デザインしたグッズ)を着ていたら、「そのTシャツどこで買いましたか」と何人かのトルコ人に声をかけられた。

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