K-POP PLAYLIST 2019 SUMMER

K-POP PLAYLIST 2019 SUMMER

4月中旬から突然聴き始めたK-POPから、特に自分の好みに近い曲を集めたSpotifyプレイリストを作りました。


 

K-POPを突然聴くようになった理由

もともとK-POPは、自分から能動的に聴いてみようと思って聴き始めたわけではありませんでした。わが家では娘と妻が早くからTWICEが好きでハマっていたけど、ボーイズグループもガールズグループも最初は偏見が邪魔して、単なるアイドルの延長としか感じられなかったのでした。
 

きっかけとなったのは、日本にこのまま閉じ籠もり続けるのはヤバい…「グローバル」な文化をもっと意識しなくては、と考えさせられる出来事があって……それからSpotifyの各国版のチャートを毎日仕事中に聴くようになった。アルゼンチン、オーストラリア、メキシコ、ペルー、アイスランド、etc……行ったことのない国々でどんな音楽が流行っているか、興味がありました。

結論からいうと、極端に言語体系が違う中国語圏やトルコ、ロシア、アイスランド以外は、どの国も大体同じ曲がヒットしていました(リル・ナズ・X、マルーマ、ビリー・アイリッシュ、etc…)。世界中どこでも同じ曲が流れる。それが「グローバル」ヒットの本質だと思います。

そんな中で、ちょっと気になるEDMの曲がベスト50の中で3~4曲、南米や東欧の国々で同じようにランクインしていて、調べたらそれがK-POPでした。しかも、日本のようにローカライズされたヴァージョンではなく、韓国語と英語のミックスの原曲の歌詞のまま、現地でヒットしている。

ハロプロ好きの自分の耳にもすぐわかるほど、非常に凝ったアレンジの曲がK-POPにも多いことが、だんだんわかってきました。そのうち、グローバルチャートを追うだけでは飽き足らず、アーティスト単位で聴いたり、YouTubeで毎週投票によりK-POPの最新チャートのMVを15秒ずつ流していくカウントダウンTVみたいなプログラム(K-POP SONGS CHART)を見るようになったりして、最新のK-POPに関する情報も少しずつ増えていきました。
 

K-POPが面白いのは、たとえばEDMなんかはアメリカではポップミュージックの様式としてはほぼ廃れており、ストレートな形ではもう誰もやらなくなっている。K-POPは、そういうほんの少し前の音楽に、90年代のR&Bなどの要素を織り混ぜつつ、最新のスタジオテクノロジーを使って新しいイメージの楽曲に仕上げている。まさにハロプロの音楽がそういうコンセプトなのですが、それをもっと精巧かつ高次元で、予算もしっかりかけた上で世界に仕掛け、実際にビジネスとしても成功させている。

音楽のジャンルやコミュニティとしてまず目が離せないし、さらにそれぞれのグループがどうとか、推しがどうこうなどと言い始めたら、もう無限にキリがなくなってしまう。いまはちょうど沼の淵に立って全体を眺めているところです。

ここからは、プレイリストの中から何組か特にいいと思ったアーティストを紹介します。
 

SEVENTEEN

前半はボーイズグループと男性のヒップホップ系、中盤がシティポップ寄りのメロウな楽曲で、後半はガールズグループ(ハロプロっぽいディスコ~ファンク~ブギー系の曲多め)。大体男女半々になるようにしました。

ボーイズグループはまだリサーチが足りないけど、いまのところSEVENTEENに注目しています。80年代のR&Bを現代のヒップホップやEDMとミックスしたようなトラックが好みだし(「Home」とか)、歌もダンスも超人的に上手い。

 

YUKIKA

YUKIKA(寺本來可)は、YouTubeのK-POP SONGS CHARTで知った日本人女性シンガー(日本では長く声優として活動していた)。Night Tempoや「Plastic Love」以降のムーブメントを完全に意識したシティポップ。K-POPといってもEDMばかりではなく、今回中盤に入れたような、おしゃれなジャンルの曲もけっこう多いです。そんな中でも彼女のインパクトは突出しています。MVもサカナクションの女性版みたいな感じ。これは本格的に知られたら相当すごいことになるよ。

 

ITZY

ITZY(イッチ)は、JYPエンターテインメントに所属するTWICEの妹分として、今年の2月にデビューしたばかり。ぼくがK-POPにハマるきっかけとなったグループ。ダンスや歌のスキルは別として、歌詞の世界観は、韓国内で人気のガールズグループの典型とはかなり違っています。K-POPのガールズグループの歌詞の多くはラブソングで、愛する男性の存在が前提となっている。曰く、あなたに似合う女の子になる。激しい印象の歌でも、あなたを力ずくで手に入れてみせる、とか。

でも、イッチの歌詞はこれとは真逆で、私は私。外見ばかりで魅力のない他の子とは違う。他人にどう思われようと気にしない。女の子たち、前を向いて。私たちがついてるから。……徹底的に女性が主体で、女性がただ女性であることを称揚しエールを送っている。ある意味、大きく変わりつつある現代のジェンダー観に沿った、力強いメッセージを伝えているわけです。

わかる人はすぐにわかると思いますが、これはハロプロのグループ、たとえばアンジュルムの歌詞だったり、元リーダーの和田彩花が投げかけるメッセージの考え方に非常に近いです。あとハロヲタ的にいうと、リーダーのイェジはダンスメンで、切れ長の目も含めて鞘師里保や石田亜佑美っぽい。最年少のユナは鈴木愛理に似ている。

 

Red Velvet

Red Velvetは、以前ブログでアンジュルムのメンバーが勧めていたガールズグループ。シングルとかは普通にポップだけど、アルバムでは他とは一線を画すような、作り込まれたひと癖ある曲が多い。今回選んだ「ルック」も、リズムが80年代に一世を風靡したドラムマシンOberheim DMXの音色だったりして、音楽好きの心をくすぐります。

Red Velvetや、BLACKPINKEVERGLOW、あとITZYやTWICEは、グローバルチャートで名前を見かけることの多かったK-POPのガールズグループ。ボーイズだと、BTS、その弟分であるTXT、TWICEと同じJYP所属のStray Kids(オーディション番組の名前がそのままグループ名)とか。……また面白い楽曲を見つけたら追加してみたいと思います。

2016/08/12〜13:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO

2016/08/12〜13:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO

S=SUN STAGE D=def garage E=EARTH TENT R=RED STAR FIELD RB=RAINBOW SHANGRI-LA T=TAIRA-CREW B=BOHEMIAN GARDEN

160812fri
PUFFY [RB] →Suchmos [R] →(BABYMETAL [S] )→ハナレグミ [R] →(電気グルーヴ [S]

160813sat
(水曜日のカンパネラ [R] )→高田漣 [T] →田島貴男 [B] [T] →矢井田瞳 [T] →cero [RB] →(MY LIFE IS MY MESSAGE〔山口洋〜矢井田瞳〜TOSHI-LOW(BRAHMAN)〜仲井戸麗市〕 [B] )→KEN ISHII〜TAKKYU ISHINO [RB] →終(日の出)

>>2005/08/19〜20:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO|パラグラフ
>>2006/08/18〜19:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006 in EZO|パラグラフ

10年後のライジングサン

▼ライジング・サンは2005年と2006年に参加して以来。半分仕事(当時勤務していた音楽事務所の所属ミュージシャンの応援)目的だったけど、ハナレグミや忌野清志郎などをゲストに迎えたフィッシュマンズ、電気グルーヴとスチャダラパー(電スチャ)、レイ・ハラカミなどのいまも記憶に残るライブやフェス自体の温かな雰囲気が忘れられず、今回10年ぶりに家族を連れての再訪が実現した。

▼10年前と比べて最も大きく変わった点は「会場が巨大化していたこと」だった。下の地図に書き込んだように、以前と比べてテント7区画分横に増えていた。この距離が実際に歩いてみるとかなり長く過酷で(子連れにとっては特に)、結果としてSUN STAGE方面には滅多に行かず、今回宿泊したフォレストテントサイトに近いBOHEMIANからRED STAR FIELDまでのエリアをうろついていた。逆にBOHEMIAN方面に全く来ない人も多かったに違いない。

RSR2016

▼しかしこの変化は、直ちにマイナスとはいえない新しいフェスの楽しみ方をもたらしてくれた。家族〜子連れにとってのフェスは、大人同士や単独での参加に比べ、子どもの状況や行動可能範囲・就寝時間などの様々な制約に左右され、予定通り・思い通りになることはほとんどないと言ってよい。その代わり、欲ばらず「可能な範囲でいま目の前で起こっていることを楽しむ」という考え方に辿り着いた。冒頭の観覧リストも、以前だったら予定通りに制覇しようという気持ちで満々だったが、今回は行き当たりばったりだったり予定外だったり、アーティストによっては一部分しか観られなかったライブも多い(カッコで囲んだアーティスト)。それ以上にフェスという場全体から受け取ったものが大きかった。

よりぬき・アーティスト別感想

PUFFY
▼RAINBOW SHANGRI-LAの屋根付きスペースの両側に大人から子どもまでびっしりと沢山の人々が群がり、時間を追うごとに人数が増えていく。ヒット曲を持っているのが何よりの強み。
▼サビ前がPPPHなので、みんな一緒に盛り上がった。アイドル的なノリも楽しかった。
▼近くで観られず確認できなかったけど、サポートギターはフジタユウスケ君(かつてバンド時代のジャケットデザインを手がけたことがある)。

Suchmos
▼音源だとオリジナル・ラヴに近い印象があったけど、実際の演奏を観るとフライング・キッズも連想した。衣装がジャージだから?

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BABYMETAL
▼SuchmosのMC中、無音の時間に神バンドの地鳴りのような音が遠くから聞こえた。慌てて移動し観られたのは数曲だったが「イジメ、ダメ、ゼッタイ」などSU-METALの声がずっと耳から離れない。

ハナレグミ
▼しばらく観ない間にバンドとしての表現が大きくスケールアップしていた。「オアシス」が良かった。
▼旧知のマネージャーが声をかけてくれて、バックステージで約10年振りの再会を果たすことができた(初期のアルバムやシングルなどのデザインを担当していた)。ぼくたち夫婦の結婚パーティーで歌ってくれたタカシ君に、大きくなった娘を紹介するという長年の夢が叶った。本当に幸せな時間だった。

矢井田瞳
▼TAIRA-CREWとBOHEMIAN(MY LIFE IS MY MESSAGE)で2回「My Sweet Darlin’」を聴いた。張りのある素晴らしい声に惚れた。MY LIFE IS MY MESSAGEの出演者は、山口さんを含め皆、美しい声の持ち主だった(とくにBRAHMANのTOSHI-LOWの声の引力)。
▼娘が、「だーりだりーん」が耳タコソングになっちゃったよ、と笑っていた。

cero
▼演奏を観たのは今回が初めて。驚愕の一語に尽きた。全然シティ・ポップじゃなかった。強いて言えば無国籍なシティ・ポップ? 日本のシーンを見渡して同種の音楽が見当たらなかった……けど、しばらく考えて思い浮かんだのがSAKEROCK(カクバリズム繋がりだけに)。メロディとして坂本九など古い昭和歌謡の匂いも感じた。共演のVIDEOTAPEMUSICの影響も大きかったのではないか。
▼複雑なコードとリズム構成を沢山の若者たちが自然に受け入れ、フェス的な反応や手振りで応えていたのが不思議だった。

TAKKYU ISHINO
▼新作の曲から、ニューオーダーの前座DJでもかけた偽ブルマン(C.O.P.Project「Pornostar」)、Orange Range「以心電信 Takkyu Ishino Remix」などを挟み、Patrick Hernandez「Born To Be Alive」で終わる1時間15分(SoundHoundが役に立った)。最近の卓球は70年代のユーロディスコがお好きなようで、その享楽性が新しいアルバムにも作用している気がする。官能=享楽性。
▼Orange Rangeの曲のVJは沖縄の伝統衣装を着た女性や少年のコラージュ。音楽に社会的な意味性は込めない人だと知りつつも、最近の沖縄へ向けてのメッセージなのではと勘ぐってしまった(かつての山下達郎「希望という名の光」のように)。《離れてたって 以心伝心 黙ってたって わかる気持ち/想いよ届け 君の元に 未来につないでく 信号は愛のメッセージ……Orange Range「以心電信」》
▼VJの最大の見どころはなんといっても最初と最後に流れた、ポケモンGOのパロディ偽ピカチュウ「タッキュウ」。Twitterのアイコンにも使われているやつ。
▼ターンテーブルの上に載せた生ビールのコップがくるくると回り、それをひょいっと取って飲む動作が面白かった。DJおじさん。
▼「魔法的電子回路」つけてる人を2人くらい見かけた。

rsr2016-takkyu

ライジング・サン備忘録

持って行ったけど使わなかったもの
雨具(ずっと晴れていた) 🙂 。
初日は猛暑だったが、二日目は涼しかったため、上着は役に立った。

持って行って役に立ったもの
保冷バッグ……500mlペットボトルが2、3本入る大きさ。裸の場合に比べて長時間冷たさが持つ。会場内コンビニで氷を買って入れておくとさらに良い。
ちなみに、フォレストの再入場口のすぐそばにセイコーマートがあるので(帰る間際に気付いた…)、日用品には困らなそう。

持って行けばよかったと思ったもの
キャンプ用キャリーワゴン……テントやその他の重い荷物を(近くに会場内郵便局があったので)短距離とはいえ、運ぶのがとても大変だった。そんなとき一台のキャリーワゴンに荷物を全部載せて、さらに子どもたちまで載せて運んでいる家族がうらやましかった。

cooling-bag  carry-wagon

ベスト・プレイス=TAIRA-CREW
▼TAIRA-CREWはキャンドルジュンがプロデュースする、ステージに沢山のキャンドルが飾られたスペース。地面には干し草が敷き詰められ、森の中で木陰も十分にあり、BOHEMIANを更にソフトにしたようなアコースティックやアンビエントミュージックがずっと流れている。昼間は晴天と猛暑のためテント内が蒸し風呂化していて休めず、テントの外に休息所がほしい、というニーズに最適の場所だった。昼間は、ほかの人たちと同じように干し草に寝転んで仮眠をとったり、娘や近くにいた子どもと一緒に葉っぱで笹舟を作って遊んだり、見たいライブがあれば出かけて行ってまた戻ってきたり……二日目はほとんどここを拠点にのんびり過ごした。初日からハナレグミや藤原さくらなど、スケジュールにないゲストの飛び入りもあったようだった。ここだけにしかないドリンクやかき氷のメニューも揃っている。夜は色とりどりのキャンドルが一斉に輝く、夢のような隠れ家だった。

tairacrew

tairacrew2

テント撤収〜帰路
▼早く帰る場合は、3時台にテントを撤収し発送も済ませてしまい、SUN STAGE終了後そのままシャトルバスの列に並ぶのがベストだと思う。今回は7:30に起きてゆっくり行動を開始し、シャトルバス乗り場に辿り着いたのが10:00で、12:20の帰りの飛行機に滑り込むギリギリのタイムスケジュールだった。家族全員の荷物の片付けと移動に思った以上に時間がかかることがわかった。
▼シャトルバスは、9:00まで随時出発、9:00以降は1時間おきの出発になることに注意。1時間1便の出発時間は厳格で、無常にも取り残される人々が沢山いた。出発時間を知らず偶然10:00少し前に乗り場に着いたからいいが、少しでも遅れていたら帰りの飛行機に間に合わなかったと思うとゾッとする。
▼日曜朝になると飲食系の屋台は撤収してしまうので、必要な物は土曜夜までに確保しておきたい。

北海道土産
▼東京・名古屋・埼玉・仙台・相模原在住なら北海道どさんこプラザで名産品が手に入る(空港よりも品揃え豊富…有楽町調べ)。ギリギリに空港に到着してお土産が買えない!と焦らなくても大丈夫 🙂 。Kitaka関連グッズは(Kitakaカードも)北海道にしかないので忘れずに。

日の出
▼10年前は未明の間にテントを撤収して会場内郵便局に預け、SUN STAGEのトリのアクトと一緒に日の出を迎えるセレモニーを体験できた。しかし今回は娘がいて、早朝の撤収は難しかったし、片道30分以上かけて眠い娘を連れてSUN STAGEとテントを往復するという選択も無謀だった。
▼結局SUN STAGEには行かず一人で、人の少ないBOHEMIANで日の出を迎えることにした。約20分かけて丸い太陽がゆっくりと地平線から産まれ出る時間は神々しく、感動で心が震えるほどだった。次回もBOHEMIANで日の出を見てみたい。

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2004年のイスタンブールメモ

2004年のイスタンブールメモ

トルコのイスタンブールに観光で約一週間滞在したのは2004年、いまから12年前のことだった。結婚して最初の夫婦旅だったので、事実上の新婚旅行ということになる。街のあちこちで見た美しい風景や人々の優しさが、いまだに脳裡に焼き付いている。そんなイスタンブールの平穏だった日常を壊してしまいかねない出来事が、ここ数年、とくに今年に入って立て続けに起こっていることに心を痛めている。

当時の旅行記「イスタンブールメモ」がハードディスクに残っていたので、今回ネットにアップしようと思う。おみやげと一緒に、仲の良かった人たちに渡す目的で書いた文章だった。特別に面白い内容やメッセージ的なことが書かれているわけではなく、旅を通して体験したことや感じたことがただ淡々と記されているだけだが、あの頃のイスタンブールの空気がなんとなく伝わるのではないだろうか。

文中でも少し触れているが、この時期にも既にテロは存在していた(シリア国境やアンカラ方面など)。しかし、9.11から3年後、2004年のイスタンブールはまだ、トルコ建国から続いてきた世俗主義とイスラム的価値観が共存する、ピースフルな空気に満ちていたように思えた。

12年後の現在、イスラム原理主義へと扉が閉ざされてゆく状況の裏には、中東情勢やEUとの関連など、反動、とはひと言で片付けられない様々な問題が横たわっているのだろう。トルコに限らず、イギリス、日本、アメリカ、アジアからヨーロッパまで、同じ色の雲が世界中を覆いつつあるのを、ひりひりした予兆とともに感じている。

いまのトルコや、この時代に対して言いたいことは山のようにあるけど、あえて何も考えていないかのように口を閉ざしておこう。あのとき、イスタンブールの街のあちこちで無数に見かけたネコたちがそうしていたように。

>>放送24局 免許取り消し 公務員2.5万人処分|毎日新聞

イスタンブールメモ(2004)

イスタンブールを一週間ほど旅してきました。妻がイスラム教とキリスト教の歴史について勉強したのがきっかけで、トルコの美しさに興味を持ったこと。こんな時期だからこそイスラムの文化に触れてみたいと思ったこと。たまたま出たばかりの旅雑誌「ニュートラル」(現・TRANSIT)のイスラム特集があまりに素晴らしかったり、「ミュージックマガジン」でもトルコ他の地中海音楽が紹介されていて、タイミングを感じたのでした。

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旅の概要

イスタンブールメモ

イスタンブールはトルコ最大の都市で、アジアとヨーロッパにまたがる東西文化の交差点。ボスフォラス海峡をはさんで、歴史的建造物とバザール(市場)がぎゅうぎゅうに詰まった旧市街と若者文化が栄える新市街があるヨーロッパ・サイド、住宅地の多いアジア・サイドに分かれる。

今回宿泊したのは、有名なブルー・モスクやアヤソフィアのある旧市街のスルタン・アフメット地区。「深夜特急」で沢木耕太郎が泊まった宿のすぐ近く。旅行中はずっと晴れていて、最高28℃/最低18℃の過ごしやすい夏の気候。公用語はトルコ語で、観光地では英語もほぼOK。移動手段はトラム(路面電車)、国鉄、バス、タクシー、メトロ、そして船。

街の印象

ヨーロッパの合理性(街全体の近代性)とアジアの猥雑さ(屋台、物売りが多い)の両方が絶妙にブレンドされている。ヨーロッパの人々にとってはアジアの雰囲気を手軽に体験できる最も近い場所とあって、たくさんの旅行者が観光で訪れていた。日本人観光客も多かった。トルコ人が日本人に対して親切といううわさは本当で、困ったとき、商売人にも普通の人にも何度も助けられた。

テロのことは行く前からずっと気がかりだったが、暮らしている人々の表情はいたって明るく平和な雰囲気に感じられた。ただ、人が集まる繁華街や観光地を中心に市内の至る所で膨大な数の警官や軍人の姿が目に付いた。穏やかで威圧感はあまりなく、守られている安心感の方が強かった。

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モスク

市内にはモスク(トルコ語でジャミイ)と呼ばれるイスラム教の礼拝堂が500以上あり、人々が毎日礼拝に訪れる。一般の人も入ることができ、無数のタイルやイスラム絨毯の紋様、アラビア文字のカリグラフィ、ステンドグラスが多くの観光客を魅了する。朝や夕方など決まった時間に市内のモスクのスピーカーから一斉に流れるコーランの歌声も美しい。

モスクは一つ一つ美しさが違い、観光客が一番多いブルー・モスクのほか、青いタイルがひときわ美しいリュステム・パシャ・ジャミイ、絨毯や窓枠などが珍しいモスグリーンで統一されたオルタキョイ・ジャミイが特に印象に残った。イスラム建築の様式はモスクの他にも、古い建物や博物館など至る所で見ることができる。イスラム様式とヨーロッパの近代建築が複雑に絡み合うところが、イスタンブールの街の面白さだった。

バザール

イスタンブールメモ

旧市街には数多くのバザール(市場)がある。土産物や宝飾品から生活用品まで揃うグランド・バザール、食品や香辛料が多いエジプシャン・バザールのほか、革製品、靴、ジーンズ、大工道具、ペット用品のバザールなど。店は業種ごとにほぼ一箇所にかたまっていて、たとえば靴の市場だったら靴屋が100店舗以上並んで「靴・靴・靴……」、ジーンズの市場も同様に「ジーンズ、ジーンズ、ジーンズ……」という感じ。それらの店の合間にケバブなどのファーストフード屋があったりして、バザールはイスタンブールでもとりわけアジアの匂いを強く感じる場所だった。

どこも香辛料の匂いが強烈に漂い、鼻が弱いので鼻炎によるくしゃみに悩まされた(帰国したらすぐ治った)。

食べ物

トルコ料理の特徴は、油っこい(オリーブオイルを多用するため)、乳製品 (ヨーグルト)をよく使う、サバなどの魚がおいしい、野菜が多い、豚肉は宗教上食べられず羊肉や鶏肉が使われる、辛さなどの刺激は少なくまろやかさがある、など。世界三大料理に数えられることでも有名。

屋根のある店で食べる料理よりも、屋台で売っている安いファーストフードを外でほおばる方がおいしく感じられた。日本でも見かけるケバブサンド。「深夜特急」にも出ていた、焼いた(or揚げた)サバと野菜をフランスパンのバケット半切れにはさみ、レモン汁と塩をたっぷりかけて食べるパラムート(通称サバサンド。これがベスト屋台食)。ゴマがたっぷりついた香ばしい揚げパンのシミット。薄くクレープ風に焼いた丸い生地で香りのある草を巻いて食べるラフマジュン。どれもおいしいうえに、日本円にして100円程度の安さ。

クムカプという港の近くのレストラン街では魚料理がおいしいと聞いて、食べに行った。シー・バス(店のおじさんは日本語で「スズキ」と言っていた)をトマトソースとマッシュルームで煮込んだ料理が絶品。ほかにも、いろんな種類の料理をバイキング風に選んで皿に載せてもらえるロカンタ(トルコ式食堂)がやさしい家庭料理風の味で良かった。トルコのレストランではパンが食べ放題。唯一、ヨーグルトを使った料理とヨーグルトドリンクのアイランだけはどうしても苦手だった。

飲み物ではトルコ紅茶のチャイ。日本で一般に知られているインド風のスパイシー・ミルクティーではなく、少し濃いめの紅茶。アップルティーが特においしい。専用のグラスと皿で出てくる。絨毯屋などのお店ではお客に気前よく振る舞われる。トルコ式コーヒーはエスプレッソやベトナムコーヒーに似ていて、ちょっと苦いので水とセットで出てくる。コーヒーの挽き粉が沈むまでしばらくおく。夏は暑いため、街を歩くにはミネラルウォーターが必須で、売店で500mlのペットボトルが30円、1.5Lが50円。スーパーでまとめ買いすればもっと安い。コーラ350mlは70円。

デザートでは、日本でも「トルコ風アイス」として有名なのびるアイスのドンドゥルマ。ご飯粒の入ったライスプリンなど。ターキッシュ・ディライトという別名がある、トルコの伝統的なお菓子のロクムも有名。でもデザート・お菓子系はどれも激甘。

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音楽

街から自然に聞こえてくるトルコ語のポップスが面白かった。ヒップホップやトランスをベースにトルコ語のこぶしが効いたヴォーカルが乗り、ちょっと昔のバングラビートが進化した感じ。でも欧米の借り物でなくオリジナリティが感じられる。

日本では演歌を聴くような世代がダンス系の音楽を普通に聴いていた。街でタクシーを拾ったとき、中年の運転手がJ-WAVE的なFMの最新トルコポップスを爆音で流していたり、民芸品屋の親父がトルコ語のラップを聴いていたり。狭い観測範囲だけど、日本のような「高年齢の人は演歌、ファミリー層はニューミュージック、若者はJ-POPやアイドル」といった年齢・世代別のマーケットの棲み分けがトルコには少ないように感じられた。日本でいえば、氷川きよしが演歌ではなくEXILEやChemistryのオケに乗せてあの調子で歌ったら、世代を越えて爆発的にヒットするかも、みたいな感じ。

CDショップは、銀座っぽい新市街のイスティクラル通りを中心に大きな店が何軒か。伝統音楽を扱う小さな店も多数。HMVやTOWERなど外資系チェーンは無し。洋楽よりドメスティックが強く、メディアはCDとカセットが半々。海賊盤もコピーコントロールCDも、見た限りでは皆無だった。偶然入ったショップの店員はとても親切で、ぼくのCD探しに付き合い、その場で新品の封を開けて試聴させてくれた。トルコ語のヴォーカルものとアンビエント/トランス系を6枚ほど購入。1枚が最低500円から高くても1000円台。

アート

歴史的建造物のトプカプ宮殿アヤソフィアは博物館になっていて、収蔵品やモザイク画などを展示していた。

今回現代アートには期待していなかったが、偶然立ち寄ったアヤイリニという巨大なキリスト教会跡で、トルコ〜ギリシャの現代美術家の展示を見ることができた。絵画、写真、立体作品など。イスタンブールでは2年に一度「イスタンブール・ビエンナーレ」という現代美術と音楽の祭典が開かれていて、もともとアートの盛んな場所。残念ながら今年は会期ではなかった。

古本蚤の市も一応のぞいてみたが、ペーパーバックや教科書のお古など実用的な本が中心で、特に目を引くものはなかった。

イスタンブールメモ イスタンブールメモ

トルコの写真家Nazif Topcuoglu(www.naziftopcuoglu.com)の作品。
少女たちが図書館で写真について学ぶ「Teaching Photography」シリーズ。

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ファッション

トルコ人は美しい。男性はがっしりとたくましく、女性はぴしっと締まっている。グラマーとかマッチョでなく、余計な物が付いてなくて骨格と姿勢が良い(肥満の人からもそれを感じた)。帰国後、電車や街で日本人を見て、その体格のあまりの違いに失望した(他人のことは言えない)。

服の色で目に付いたのはターコイズブルー。日本で流行っているグリーンぽい青(エメラルドグリーン)ではなく、トルコ石の青。今年の流行色なのか、トルコだからなのか、とにかく目立っていた。ターコイズブルーはトラム(路面電車)の外装や公衆電話など街の各所で使われていた。

女性はイスラム正装の割合が半分以下くらい。パシュミナ(頭にかける布)と長袖コートで色を合わせたりして、おしゃれを楽しんでいるようだった。

ハマム

イスタンブールメモ

ハマムとは、早朝から深夜まで営業しているトルコ式風呂。イスタンブールを発つ朝に行った。サウナ風の暖かいドーム式の部屋で30分ほど横になっていると、屈強なおじさん(女風呂は女性)がやってきてアカスリや体洗い、マッサージをしてくれる。マッサージは死ぬほど痛く、大声で叫んでしまった。顔や頭を洗うとき、顔面に容赦なく石鹸入りのお湯をぶっかけるので、途中でお湯を飲んでしまい、マッサージの衝撃と相まって息ができなくなりパニック状態に。おじさんの「うがいをしろ」というポーズを真似して何とか回復した。あとから思えば笑い話だが、幼い頃海で溺れかけたとき以来のパニック体験を通して、精神的にかなり強くなれた。

実は旅行直前に珍しく突然腰痛になってしまい、旅行中も痛みが引かず、日本に帰ったら整体に行こうとずっと思っていた。しかし、ハマムから出ると不思議なことに腰の痛みがすっかり消えていた! この日ハマムで治るために神様が腰痛にしてくれたのでは?と思ったほどだった。

ハマムのマッサージは日本のように時間をかけて揉むやり方ではなく、力任せに要所をつかんではひねる一瞬勝負。怪獣のように無神経に首や腕をぼきぼき鳴らし、太股の内側などを骨が折れるかと思うほどの強さで押して短時間でおしまい。強い力を加えているのにもかかわらず、マッサージ自体の痛みは後に引くことなく全身に心地よいしびれが残った。

トルコ人から学んだこと

一切れのスイカがそこにあるとして、種が入っているから食べないというのはナンセンスだし、我慢して種まで食べるのも同様にナンセンス。とりあえず口にして味わって、あとで種など不要な部分があれば自然に吐き出せばよい。そんなコミュニケーションにおける摂理みたいなものは仮説として頭ではわかっていたつもりだったが、今回トルコ人とのコミュニケーションを通して、身体で理解することができた。というか身体はすでに知っていた。

ハマム体験もそうだったけど、今回の旅は「身体」がキーワードだった。イスラムの歴史や建築、図案の美しさも頭ではなく身体の方に詰め込んできたので、これからじわじわと何かの折にしみ出てくるのではないかと思う。あとは、少々お節介に思われてもとにかく伝えることなど。

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おまけ

●イスタンブールはネコの街。市内あちこちでネコが寝ていた。
●TukTukCafeTシャツ(当時デザインしたグッズ)を着ていたら、「そのTシャツどこで買いましたか」と何人かのトルコ人に声をかけられた。

イスタンブールメモ

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イスタンブールメモ

中川ひろたか、カンレキ2周目ライブ!に行ってきた

中川ひろたか、カンレキ2周目ライブ!に行ってきた

11月24日(月・祝)、鎌倉芸術館小ホール「中川ひろたか、カンレキ2周目ライブ!」に行ってきた。

今年2014年の2月に還暦を迎えたシンガーソング絵本ライターの中川ひろたかさんが、早くも2周目の120歳に向けて誓いも新たにリスタート、という趣旨のライブで、これまでに活動を共にしてきた沢山の人々が代わる代わるステージに現れ、中川さんとの共演を披露していた。

還暦記念とはいえ「2周目」と銘打っているように、出演者は老いも(谷川俊太郎、工藤直子、湯浅とんぼ、etc. ……敬称略)若きも(つるの剛士、ロケットくれよん、鈴木翼、etc.)、昔を懐かしむのではなく、今の時点での関係性を基点としたコラボを行っていて、ウェットな感傷に偏らず(感動はあった)、未来への余力を残しつつ、とても前向きで瑞々しく創造的なライブだった。

次々と登場するゲストの中には、中川さんへの感謝の弁を述べていた人も多数いた。中川さんは出会った人々を幸せにしてきた人だなあと思った。ステージに登場したゲストには、中川さんと出会い、仕事のチャンスを貰ったのをきっかけに頭角を表し、やがて優秀なシンガーやプレイヤー、絵本作家として世に羽ばたいていった人も多い。逆に言えば、他者の才能をいち早く発見するセンスに長けているともいえる。そうして見出された人々が、ひとつの大きなファミリーのように中川さんの近くにはいつも集まっている。この日のゲスト以外にも、絵本画家や編集者なども含めればきっとかなりの数に登るだろう。

ライブの最後にエンドロールのようにスクリーンに流れた、中川さんの全作品リストの中から、自分が関わった仕事を数えてみたら、35作あった。数えきれないほど沢山の仕事の中で、その「35」という数字が多いのか少ないのかはよくわからないが、ぼく自身も中川さんの大きなファミリーの輪に接していることだけは、どうやら疑いようがなさそうだ。

膨大な作品リストの一番最後に登場した下中商会の4thアルバム『還暦ロック』が、この日のライブ会場で発売となった。ぼくが関わらせて貰った35作の中での最新作でもある。タイトル曲の「還暦ロック」は中川さんの憧れの詩人・谷川俊太郎さんの書き下ろしによる詞で、ライブの終盤にも谷川さんと一緒のステージで披露された。
 

>>中川ひろたかさん関連の仕事|Works
 

下中商会『還暦ロック』

クラフトワーク3-D東京公演を観てきた

クラフトワーク3-D東京公演を観てきた

クラフトワークの9年振りの大がかりな来日公演(NO NUKES 2012を除く)が大盛況のうちに終了しました。参加したのは、東京・赤坂BLITZの 5:Computer World8:Tour de France の2回だけでしたが、今回は事前にセットリストの予想記事を書いていたこともあって、コンサートへの入り込み方が通常に比べて半端なく、彼らが既に次のツアー先へ旅立ってしまったあとも興奮醒めやらぬ、といった感じでした。
 

インスタレーションから「コンサート」へ

今回の東京公演は、世界主要都市で開かれている、The Catalogue 1 2 3 4 5 6 7 8(3D映像と共に過去8作品を8日間で再現するシリーズ)の一環でした(第一回のNYのみ、Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8)。

ロンドン公演までは会場がいずれも美術館だったこと(ニューヨーク:MoMA、デュッセルドルフ:K20、ロンドン:Tate Modern)、また、一連のコンサートで使われている3D映像が世界初披露されたのが、ドイツ・ミュンヘンのレンバッハハウス美術館でのインスタレーション(2011/10/15~11/13)だったことから、3D映像は、もともと単なるコンサートのためのBGV、というよりも、それ自体が完結したアート〜インスタレーション的な表現として企図されたものだったことが想像されます。
 

 
ドイツ・レンバッハハウス美術館での3Dインスタレーションの様子を伝える映像
壁に設置された複数のスクリーン上の3D映像を、観客が広いギャラリースペースで観覧している。
映像は3-Dコンサートで流れた内容と同じ(ドイツ語ヴァージョン)。
メガネはコンサートのものとは形状が違い、渡し切り(配布)ではなく貸出式っぽい。
美術館のリンクが消えているため、下記は展示中の館内写真へのリンク(写真8枚・最後はコンサート)
http://goo.gl/j3l3q

 

しかし今回の東京公演で初めてアートの文脈から離れて、ライブハウスの赤坂BLITZが会場となり、9年振りの本格的な公演を待ちわびた日本のファンの熱狂的な大歓迎を受け、このシリーズでは全くやらなかったアンコールまでやってくれて……と、開始当初からのシリーズの主旨がこの8日間をきっかけに大きく変わったのではないでしょうか。3Dの映像美とサウンドと、クラフトワークのパフォーマンスと観客の反応が一体化した、まさに「完全体」ともいうべき内容で、それが予定外の東京・大阪での2回のアンコールにも繋がったのだとしたら嬉しいです。
 
 

ここからは2月に書いた「クラフトワーク3-D東京公演の曲目を予想してみた」の検証を兼ね、実際にLIVEを体験して気づいたこと、その後新たに調べてわかったことを、個人的なメモ代わりに残していきます。

クラフトワーク3-D東京公演の曲目を予想してみた|パラグラフ
https://paragraph.jp/2013/02/3-d-concerts-1-2-3-4-5-6-7-8/

 
2月に書いたデュッセルドルフ公演の内容を元にした予想でしたが、だいたい大筋で当たっていました。後半の定番曲パートでは『コンピューター・ワールド』がほぼフルで聴けたほか、「Metropolis」以外の『人間解体』収録曲が連日セットリストに含まれていました。7:The Mix は、実質「コンピューター・ワールド」+「人間解体」をフルカヴァーする内容。連日演奏された「Spacelab」の3D映像は、日本列島が映像の中に挿入された、日本公演独自の内容でした。この曲と「Radioactivity」「電卓」には、クラフトワークから日本への特別な想いのようなものを強く感じました。

純粋にレア曲、アルバム曲を多く聴くためなら、やはり 2:Radio-Activity とか 8:Tour de France あたりに行くのがベターだったかもしれません。ただ、結果的にどの日もバランスよく聴きどころが設けられ、よく考えられたセットリストだと思いました。

 
実際の演奏曲数は発表されたセットリストよりも多かった

2月に予想として挙げたデュッセルドルフに比べると、ウドーのサイトで連日発表された来日公演のセットリストの方が曲数としては若干少なめでした。が、実際にはリストに含まれない曲も組曲の一部として演奏されていたようでした。

RADIOACTIVITY = Geiger Counter + Radioactivity
TRANS-EUROPE EXPRESS = Trans-Europe Express + Metal On Metal + Abzug
HOME COMPUTER = It’s More Fun to Compute + Home Computer
BOING BOOM TSCHAK = Boing Boom Tschak + Techno Pop

こうしてカウントすると、各日のアルバム曲はほとんど演奏されたことになります(『Tour de France』の「Prologue」は、構成上演奏されていませんでした)。

 
「Radioactivity」について

NO NUKES 2012ヴァージョンの映像(2-D映像)と日本語詞の出る箇所が変わり、「TSCHERNOBYL〜」と地名を連呼する所は、日本語ではなく元の欧文に戻っていました。2月に書いた記事で「Radioactivity」について「屈辱」という表現を使ったのは、全部の歌詞が日本語フォントのヒラギノゴシックでどかーんと表示されることへの違和感/恥ずかしさが大きかったです。しかし、今回の3-D映像ではそういった恥ずかしさがなくなり、クラフトワークのメッセージや日本に対する想いがよりストレートに伝わってきた印象がありました(デュッセルドルフ、ロンドンで演奏されたのも今回と同じ、日本語詞を含むヴァージョン)。

ウィキペディアで調べたところ、「Radioactivity」の日本語詞を監修したのは坂本龍一、との記述がありました。クラフトワークとYMO一派の珍しいコラボがまたひとつ実現しました。

>>放射能(アルバム)- Wikipedia

Radioactivity(NO NUKES 2012) >>クラフトワーク公式サイト >>YouTube
 

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「Planet of Visions」について

来日公演の前に調べた各国のセットリストでは「Planet of Visions」と「EXPO2000」が混在していたり、「EXPO2000(Underground Resistance Mix)」との記載があったり少し混乱していました。総合すると、

Planet of Visions = EXPO2000 + EXPO2000 (Underground Resistance Mix)

ということになるようです。かつて「EXPO2000」として発表された曲を「EXPO REMIX」とのメドレーで演奏する時の曲名が、ある時期から「Planet of Visions」に改題された、と。このメドレー形式での演奏はおそらく2002年頃から行われていたが、曲名変更が正式に広まった/伝わったのは、ライブアルバムの『Minimum-Maximum』(2005)発表以降ではないかと思われます。

「EXPO2000」はドイツのハノーヴァー万博のテーマソングとして制作された曲でしたが、偶然見つけた当時の万博のレポート記事で、ハノーヴァー万博には「Planet of Visions」という名前のパビリオンが存在していたことがわかりました。パビリオン内で「EXPO2000」が実際に使われていたかどうかは不明です。

>>ハノーバー万博見学記 (当時万博を訪れた個人のレポート)
 

……もう一本調べ中の項目がありますが、長くなりそうなので後で追記するか、記事を別に分けます。
 

約2時間に及ぶ長丁場を、休憩や水分補給もせずずっと立ちっぱなしでこなしたクラフトワークの高齢メンバー(ラルフ67歳、ヘニング59歳…)を筆頭とした4人によるパフォーマンスとサーヴィス精神には、心から感服させられました(デュッセルドルフと、今度のシドニーでは一日二回公演も!)。さすがマンマシーン、というか、噂に聞く日頃の自転車鍛錬の賜物なのでしょうか。今度来日する時まで、彼らのタフさに付いていける体力をキープしておかないと。次回はぜひ新作での来日を!
 
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