今夜(だけ)は(追憶の)ブギー・バック(・マンションと上京当時のこと、小沢健二の話)

公開終了の予定でしたが、まだ祭りが続いているようなので復活しました(期限未定)。
 

小沢健二のアルバム『LIFE』がリリースされた頃にぼくが住んでいたアパートが、ブギーバックマンション(オザケンとスチャダラパーのメンバーが生活していたマンション)から徒歩20分ほどの近隣にあったことを最近になって知った。週刊文春で小山田圭吾にインタビューしたルポライターが住んでいるのがブギーバックマンションの元小沢健二の部屋だった、というくだりを記事で読んで、グーグルマップで場所を調べたら、そのことがわかった。小山田圭吾の一件がなければずっと知ることはなかっただろうし、それに、今頃になって知っても……という気持ちも正直ある。
 


 

『LIFE』が発売された前年、1994年の1月に静岡から上京した。最初に住んだのは横浜の、庶民的な商店街のある町だった(世田谷区に転居したのは翌年1月)。トラック運送の仕事をしていた友人が手伝ってくれて、まだ建設中のみなとみらいや眩い高層ビル群を横切り、新しい部屋に到着したのが夜の7時頃。真っ先にしたのはテレビの接続。アンテナがまだ開通してなく、ノイズしか映らないブラウン管の奥からかすかに聞こえてきたのは、地元の局ではネットされていなかった『ウゴウゴルーガ』のテーマソング「東京は夜の七時」だった。
 

友人が勤務していた音楽事務所の編集セクションに入社してしばらくの間は、泊まり込みでFC会報やコンサートパンフレットの編集と執筆に明け暮れていた。ブラックといえばブラックな会社ではあったが、当時(も現在も)売れている音楽業界の周辺はどこもそんな感じだったと思う。CDを出せばミリオン〜ダブルミリオンという神話が、このあと5年くらいは残っていた。
 

編集セクションのあった小さなオフィスのラジカセからは、ずっとJ-WAVEが流れていた。上京したばかりの自分にとって、流れてくる音楽の全てが「東京」だった。
 

オフィスに寝泊まりしながら四六時中J-WAVEを聞いていると、ここから生まれるヒット曲があるということがだんだんとわかるようになった。ある曲のオンエア回数が急激に増えて一日の放送で何度も何度も流れるとか。ふと気付くとまんまと術中にハマって、いつのまにか口ずさんでいたりする。そんなヘビロテ曲のひとつに、小沢健二とスチャダラパーの「今夜はブギー・バック」があったと思う。東京で初めてたくさん聴いた曲が「ブギー・バック」だった。
 

>>小沢健二/珍盤への道を歩む、『今夜はブギー・バック』| 読む、小沢健二と小山田圭吾(コーネリアス)──当時のJ-WAVE出演時の書き起こし

 
フリッパーズ・ギターの解散後、小沢健二の活動は全く追いかけていなかった。『犬キャラ』もリアルタイムでは聞かずじまい。「天気読み」の8cmシングルの写真を見て、「オザケンがフォークに転向した」という友人の言葉を真に受けてしまった。実際、フリッパーズ解散以降の小沢健二の心境としては、当たらずともいえど遠からずだったのではないか。

 
しかし「今夜はブギー・バック」はそんな(勝手に思い込んでいた)小沢健二の世界の外側から、突然ビッグ・シューターのように放り込まれた。KNOCK KNOCK!! WHO IS IT? ……というか、第一印象ではこれはスチャダラが作った曲だと完全に思い込んでいた。それまで日の目を見ることのなかった日本語ラップが、初めてメジャーでの輝かしい成功を収めた記念碑的な曲でもあった。このすぐ後の夏には、J-WAVEでEAST END×YURIの「DA.YO.NE」のヘビロテが続くようになり、やがて日本語ラップ初のミリオンヒットに結びついた。

 
いま改めて「ブギー・バック」の歌詞を眺めると、70〜80年代のディスコ/クラブへの追憶と憧憬を描いたレトロスペクティブな内容にも見えるが、この曲がヒットした当時、90年代の東京では、重いドアを開けるとクラブカルチャーがいつでもすぐそこにあった。だからあのリリックは本当にリアルタイムの現在を描いているのだと、ぼくには感じられた。時代と狂騒が言葉と完全にリンクしていた。実際、家と方角は違うけど会社の帰りに同僚たちと新宿に寄って、一杯飲むような感覚で、CATALYSTというクラブに踊りに行ったりもした。CATALYST、MIX、LIQUIDROOM[新宿]、CAVE、MANIAC LOVE etc…。とりわけ好きだったテクノも、ジ・オーブ、オービタル、ジェフ・ミルズ、プロディジーなど、様々な来日ライブやDJを、連日クラブで体験することができた。

 
1994年の夏には、先行シングル(愛し愛されて生きるのさ/東京恋愛専科)に続いて『LIFE』がリリース。翌年の春までの大ブレイク(ラブリー〜強気強愛〜ドアノック…)を待たず、当時会社の女子の大部分がオザケンにハマっていく姿を見て、それでもまだ素直に評価できずにいた。

 
小沢健二の音楽を本当の意味で完全に理解できたと悟ったのは、その同僚たちに混ざって初めて行ったVILLAGEツアーの武道館公演(たぶん1995年5月)だった。長いこと食わず嫌いなままだった『犬キャラ』の楽曲も、『LIFE』のディスコクラシックアレンジの中で演奏されて、初めて一連の流れとして自然に受け入れることができた。小沢健二はステージから客席に向かって執拗にハンドクラップを求め続けていた。みんなの手拍子というプリミティブでベーシックなパーカッションが、武道館全体を包み込むような大きなグルーヴを生み出していた。そこに加わるストリングスとコーラスと強いバンドサウンドのハーモニー。そのうねりと高揚感の中にいつまでもいたいと思った。

 
ブギー・バックの話からだいぶ横道にそれてしまった(しかもVILLAGEツアーでは「ブギー・バック」やってないし…)。最初の話に戻ると、当時はまだ土地勘もなく、徒歩や自転車で長距離を移動する習慣もなかったので(グーグルマップもインターネットもまだ存在してない時代)、目黒区のすぐ隣が世田谷区、みたいな感覚もよくわかっていなかった。もし当時そのことを知っていたら、徒歩で一度くらいは偵察に行ってたかもしれない。ブギーバックマンション。
 

>>小沢健二が『So kakkoii 宇宙』で結ぶ、君と僕との「約束」