タララ・プンカ・ポンカ・ピ〜Sing with TORIRO

タララ・プンカ・ポンカ・ピ〜Sing with TORIRO

9月6日にユニバーサルミュージックから発売される、三木鶏郎グループ、21Cトリロー・オールスターズのマキシシングル『タララ・プンカ・ポンカ・ピ』のデザインを担当しました。CM音楽の父・三木鶏郎が作曲、キリン アミノサプリナインのCM曲として話題になった「タララ・プンカ・ポンカ・ピ」に、昨年末、銀座・博品館劇場で行なわれたトリビュート・ライブ「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」からのメドレー、初CD化含むCMソングを加えた全9曲入りのミニ・アルバム(収録曲など詳しい内容はこちらで)。

このCDの仕事にとりかかる直前に汐留のアド・ミュージアム東京(ADMT)を訪れ、江戸から現代までの日本の広告の歴史を見てきたが、そこで見たことが今回のデザインにとても役立った。ADMTには日本の広告の発展に寄与した人物として三木鶏郎の功績を紹介するコーナーがあり、このCDもそこのコレクションの一つとして展示されるとのこと。

三木鶏郎グループ、21Cトリロー・オールスターズ
『タララ・プンカ・ポンカ・ピ』
(ユニバーサルミュージック)
2006年9月6日発売 UICZ-4160 1,200円(税込)

きょうは何の日:Kiiiiiii江ノ島ライブ(2003/8/24)

きょうは何の日:Kiiiiiii江ノ島ライブ(2003/8/24)

3年前の8月24日日曜日、江ノ島西浜海岸海の家で開かれた南風食堂のイベント「One Plate Gathering」のゲストにKiiiiiiiが出演。近隣の店からのクレームで演奏は何度も中断。そのたびに仕切り直し、ライブは結局都合3ステージにも及んだ。当時の日記には「ゴダールの『気狂いピエロ』を生で、目の前で見ているような印象」と記されていた。映画の中のこんな台詞を思い出したのだ。
《また、見つかった、/何が、永遠が、/海と溶け合う太陽が。》

2006/08/18〜19:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006 in EZO

2006/08/18〜19:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006 in EZO

今年も行ってきました。

S=SUN STAGE E=EARTH TENT R=RED STAR FIELD M=MOON CIRCUS G=GREEN OASIS
BH=BLACK HOLE BG=BOHEMIAN GARDEN

060818fri
InK [M] →GANGA ZUMBA [G] →スカパラ [S] →ゆらゆら帝国 [E] →休→buffalo daughter [R]

060819sat
真心ブラザース [R] →ケツメイシ [S] →米米CLUB [S] →休→高橋幸宏 [M] →rei harakami feat. 矢野顕子 [M] →KODAMA & THE DUB STATION [R] →休→カクマクシャカ×DUTY FREE SHOP [BH] →Taiji All Stars(松雪泰子〜奥田民生) [BG] →終
 

▼InKはオヤジ(×2)のアシッド。過去と近未来のちょうど中間地点に位置する、ある時期の808STATEを連想させる音。宇川直宏の映像が心地良し。

▼GANGA ZUMBAを観ていたら、何故か憎悪や殺意に似た感情が腹の底から沸き上がってきた。ステージでのMIYAのパフォーマンスは(多少のポーズは含まれているにせよ)この世の闇を代表しているみたいに邪悪でひたむきで命懸けにみえた。表現というものは口先手先だけではダメで、たとえば「ちくしょー」と心の中で叫びながら命懸けでやらなくては人々はおろか自分自身にすら届かない、こともあると思う(最近の経験より)。悪事を重ね、あふれる怒りや憎しみを彫刻刀に込めて無数の邪悪な像を彫り続けた『火の鳥・鳳凰編』の主人公・我王を思い出した。厳しさという十字架を背負って表現に立ち向かう者にこそ、「楽園」の歌詞のようなやさしいコトバが手に入れられるのかもしれない。

▼ゆらゆら帝国を座って聴く。やってることはノイジーなのに音の佇まいが静謐。

▼初日の最後、もう寝るか迷ってbuffalo daughterへ。三人のドラマーが登場。ぼくは現ドラマーの音が好き。

▼初めて観るアーティストのライブに潜り込み、ファンのふりして前の方で踊る。スカパラではスカダンスを踊り、ケツメイシではタオルをぶんぶん振り回す。異常に楽しかった。熱狂の中に身を置かないとわからないことがある。熱狂の外からでないとわからないこともある。

▼高橋幸宏の音はMoon Circusの竹製ステージ(SOI MUSICの遠藤さん制作)の雰囲気にぴったり合っていた。電子音+自然音が織り成すスーパーナチュラル。

▼今年もここで観るrei harakami、そしてfeaturing アッコちゃん。矢野顕子とのこれまでのコラボレーションの集大成。矢野さんの“花火の伴奏”。音と演奏と空気と花火と……その場にあるものすべてが表現、これフェスの醍醐味。《いい人の上にも 悪い人の上にも/静かに夜は来る みんなの上に来る》(「ごはんができたよ」)

▼KODAMA AND THE DUB STATION。忘れもしない20年前、一瞬アイドルよりも好きだったミュート・ビートが地元の静岡にツアーで来ると聞いて観に行った。ちょうど『LOVER’S ROCK』のリリース直後で、「キエフの空」でのチェルノブイリや放射能汚染についてのこだまさんのMCが呪文のように強く心に残った。それから20年。「キエフの空」やミュート・ビートの数々の名曲がプレイされ、こだまさんのMCも、自分自身も、そしてこの世界の状況も、何一つ変わっていないことを肌で実感する。歴史を繰り返す愚かな人類たち(自分含む)と共にアンコールの「What a wonderful world」で踊った(今回のレパートリーの多くは、7月に出たばかりのセルフ・カバー・アルバム『more』の収録曲)。

▼No Nukes Party。マッチョなコトバ、YES/NOのどちらか一方しか見(え)ないコトバ……。直感でしかないが初めて見たDUTY FREE SHOPP×カクマクシャカ、その二人の佇まいと言葉使いに、繰り返されるコトバとコトバの平行線的世界から逃れていくような自由を感じた。基地の島・沖縄出身であることと関わりがあるのだろうか(沖縄の若者たちは「ヤンキー・ゴー・ホームと言えない」と何かの本で読んだ)。

▼まだ一度も足を運んでなかったボヘミアンで、シアターブルックの佐藤タイジによるTaiji Allstarsを。歌の異様にうまい姉ちゃんの歌声にうっとりしていたら、女優の松雪泰子だった。続いて登場した奥田民生のギターテクとMCを満喫してフェスの見納めとした。

 
北海道は今年で二回目。多忙のため一時はチケットを誰かに譲って参加をあきらめようと思ったほど。こうやってお金と時間を使って、束の間の夏のひとときを仕事を忘れて過ごせたことの喜びをいまもかみしめている。今年はついにマイテント持参。とりあえず悪条件じゃなければこいつさえあればどこでも過ごせる自信がついた。同宿のSくんありがとう。

ゲームでいえばスペシャルフラッグ・隠れキャラ的な要素が多かった去年(2005年)に比べて、今年はどちらかといえば“本格的”で、より音楽ファン向けの内容になっていたように感じた。moon circusなどのサブ級ブースは大きくなって、隠れ家的に入り浸れる雰囲気ではなくなっていたし、一人のアーティストの持ち時間が増えたことで若干各ステージのライブの本数が減り(全体の出演者数は増えている)、一人一人のライブを存分に楽しめるメリットはあったものの、去年のように未知のアーティストと出逢える機会は減った。ステージ間の距離が遠くなり、特にグリーンは本当に目的がなければ行く気になれなかった(逆のボヘミアンも然り)。

これを機にいろいろ他のフェスに参加してみるのもありかなという気持ちと、逆にもうフェスは行かなくていいかなという気持ちが半々。読書フェス、批評フェス(佐々木敦さんの「批評家トライアスロン」)、落語フェスがあったらぜひ行きたい。
 

関連記事
>>2005/08/19〜20:RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO

永江朗『平らな時代』と“主体性”について

永江朗『平らな時代』と“主体性”について

人からずっと借りっぱなしになっていた永江朗のインタビュー集『平らな時代―おたくな日本のスーパーフラット』を再読。あらゆるものが等価とみなされるようになったおたく世代以降の日本文化を、さまざまな分野の表現者へのインタビューをもとに読み解く本である。

「まえがき」に東浩紀『動物化するポストモダン』についての記述が出てくる。本書のテーマである「すべては等価である」という認識の直接的なヒントになったのが『動物化するポストモダン』だったそうだ。『動物化〜』が世に出たのが9.11以前の2001年。この本は2003年発行。ぼくは何も知らなかった。

『〈ことば〉の仕事』の仲俣氏と同様に、永江氏も雑誌「本とコンピュータ」に一時期かかわっていたという。そのせいか、『〈ことば〉の仕事』とこの本にはどこか共通する匂いが感じられる。「おたく世代以降…」とうたわれているが、本書に登場する様々なジャンルの表現者たちは、おたくでもなければ新人類でもない。80年代以降の世界を浮かれもせず舞い上がりもせず、欲望を表立って前に出すこともなく(隠そうとして逆に露わにしてしまうこともなく)、淡々と過ごしてきた人たちばかり。そこがいいと思う。
 

建築ユニット「アトリエ・ワン」のインタビューの、建築が絵画等の表現と異なるのは「施主」という存在があること、という話題についての発言より。

塚本 (略)「オレ、オレ」「私、私」というふうに押し切るやりかたがあまり好きじゃないのは、「オレ、オレ」というのはまさに主体性の確保で頭がいっぱいになっていて、他者の扱いかたに映し出される主体のありかたがあるということに無自覚だと思えるからです。
——そこで世間一般にとってアトリエ派がわかりやすいのは、スタイルの確立があるからでしょう。安藤ふうというと、施主は「コンクリート打ち放しにしてくれませんか」となる。谷口親子だったら和風だったり。フランク・ゲーリーは同じようなことを反復している。ところがアトリエ・ワンはそういうスタイルには背を向けている。飯島洋一が反発するのもそういうところでしょう。スタイルを確立しない、だから無名性、匿名性である、と。
塚本 モノローグはいやなんです。ダイアローグ、コミュニケーション、インタラクションに向かいたい。できるだけ世界との接触を増やしたいし、発見的でありたいから。

施主をクライアントに置き換えれば、デザインの話としてそのまま成り立つだろう。
 

つい最近も実感していることだが、自分の仕事において、自分自身の“主体性”というものが限りなく薄くなっているように感じる。担当した仕事を「ぼくが/わたしがデザインした」とは100%言い切れない感覚がいつもある。デザインにおけるクライアントやその他の人々とのやりとりの中で、いわゆる純粋な意味での“主体性”はつねに危機(=外部)にさらされている。主体はデザインする“私”の中になく、プロダクト/プロジェクトをとりまく場=全体の中にオーラのように存在している。

より現実的な言いかたをすれば、ある仕事ではプロデューサーの誰々さんの意見をそのまま形にすることもあるし、別の仕事ではイラストレーターやミュージシャンの誰々のアイデアを活かす最善の方法を考えるというアプローチもある。

固有のスタイルは持たない。だからといって他人の意見に「流される」のではなく、編集者のように全体を見ながらヴィジュアルの流れを望ましい方向にコントロールしていく。そこは自分できちんと責任を持つ。関わったスタッフそれぞれが「これは自分の仕事(デザイン)なんだよ」と胸を張って人に言えるようなプロダクトが作れればいいと思う。強いていえば、そういう仕事の積み重ねの中にぼくという主体の固有性がうっすらと浮かび上がるような感じ。

ぼくが「デザイン=(イコール)器」ということばで表現したかったのは、まさにそのような「他者の扱いかたに映し出される主体のありかた」のことだった。

 
写真=平らな時代―おたくな日本のスーパーフラット

亀倉雄策1915-1997

亀倉雄策1915-1997

日本のグラフィック・デザインをリードし続けた巨匠・亀倉雄策の回顧展が、銀座にあるギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれている。火曜日に観に行ってきた。

亀倉さんといえば“揺るぎないもの”とか“岩”みたいなイメージがある。展覧会会場で買った、最近出たばかりのエッセイ集『YUSAKU KAMEKURA 1915-1997』の序文で、デザイナーの友人早川良雄が彼のことを「太陽」になぞらえていて、なるほどな、と。《「太陽」は紆余曲折や遅疑逡巡も知らず、ひたすら前向きに胸を張り続けなければならない》。会場には、有名な東京オリンピックのポスターや、NTTほかのロゴマークなど、胸を張り続けてきた仕事の数々が整然と並んでいた。事務所の本棚には吉祥寺の古本屋で1000円で掘り出した(!)名著『世界のトレードマークとシンボル』が収められていて、仕事に詰まったときにはひっぱり出して眺めることにしている。作家性や自意識のレベルを超越して、信号や標識の域にまで達するデザイン(パブリック・デザインの真髄)。こういう(太陽のように)厳しくて絶対的な表現にも大いに憧れてしまう。1月31日(火)まで。