Kiiiiiii US Tour report  01: Tonic, NY, 03/APR/2007

Kiiiiiii US Tour report 01: Tonic, NY, 03/APR/2007

先週観てきたKiiiiiiiのNY Tourについて憶えている限りのことを記します。
(海外からも拾えるように英語を多めに混ぜています。)
まずは4月3日のTonicから。

 
Kiiiiiii US Tour report 01: Tonic, NY, 03/APR/2007
 
Kiiiiiii NY Tour 2日目会場のTonicは、Lower Eastにある老舗のライブハウス。John Zornら前衛ジャズ/即興音楽の本拠地として知られ、大友良英、灰野敬二、RUINS、ヒカシュー/巻上公一もかつてここでプレイしている。何度か資金難による閉店が噂され、オノ・ヨーコ(Yoko Ono)ら有志の寄付により何とか持ちこたえてきたが、とうとう今月13日、John Zornによるラスト・ステージでその長い歴史に幕を閉じることになった(閉店の理由は再開発という説がこちらに)。

店内の配水管むき出しの古びた造り(日本でいえばLOFTか新宿時代のLiquidroom風)、ステージ後ろに張られたDavid Lynchの映画に出てきそうなred curtainも「厳めしい」という言葉がぴったりくる。ステージの前には6脚×5列ぐらいの年季の入った椅子(Eamesのside shellチェア)が整然と並ぶ“アリーナ席(arena seats)”が用意され、ちょっとオタク/ロック・フリーク的な風貌の人々が座っている。客層はやや高め(見た感じ30歳以上が中心の印象)。周りにあるいくつかのテーブルとハイ・スツールにも何組かが座り、後方にはざっと数えて20〜30人程度の立ち見の人々。

さてKiiiiiiiの登場、の前に1st Act、Adachi Tomomiの演奏が始まった。ワールドワイドに活動するヴォイス・パフォーマー。衣服の上に多数のマイクを仕込み、奇妙なポーズで悶えながら絶叫。その声をマイクで拾い、パワーブックでディレイ/エフェクトをかけていく即興音楽。ひんやりとした空気がフロアに漂う。……実はこの時点で、前方に座っているお客さんたちはみんな彼の演奏を目当てに来たのでは?と良からぬことを考えていた。終わったらみんな席を立って帰ってしまうんじゃないか? とんでもないところに来てしまった、と一瞬思った。しかし誰も席を立とうとしなかった。どころか、観客の数はそれまでよりも若干増えている。Lakin’がR2-D2のbagの口を開いて、素敵なデコレーションがステージに勢いよく飛び散る瞬間、誰かが「Hoooo!」と叫んだ。BGMは、いつものJackson Five「I want you back」。それがfade outして、二人が繋いだ手を高く掲げるといよいよshowの始まりだ。

オープニングは「Carp&Sheep」から。u.t.がいきなり客席に降りて「Hey?」と観客にマイクを振っていく(椅子席の中央は花道のように広くなっている)。二番目にマイクを向けられて「Hey! Hey!」と応えたら、周囲に小さく笑いが広がった。椅子に座ってKiiiiiiiを観ること自体珍しい経験だが、この伝統あるClubにはなんだかふさわしく思えた。レパートリーは、2月の復帰ライブ以降の新曲を数曲含む構成。たくさんの練習とUS Tourでの連戦を経た末の揺るぎない選曲、という印象。ただひとつ心配なのは、u.t.の喉の調子が辛そうだったこと。それでも素晴らしいアクションとenergeticなパフォーマンスに、みんな釘付けになっていたようだった。Tokyoとまったく変わらない構成でライブを行い、それが“普通に”、何の違和感もなくNew Yorkの観客に受け入れられていることが、なんだか不思議だった。日本でライブを観ているみたいな感覚に一瞬とらわれてしまった。

Tonicの観客は静かでどちらかといえばShyだったが、心でKiiiiiiiのことを熱く受け止めている印象だった。「We’re the BAD」の最初でLakin’が「Clap your hands!」とaudienceを煽って、ようやく小さな手拍子が始まるといった感じ。でもみんな椅子の上でも自由に体を動かしているのがわかったし、アメリカの映画や音楽など英語圏の元ネタをふんだんに使った歌詞には、いちいち目を丸くして反応していた。”We are the world” の歌のフレーズや “Who’s BAD!?/Beat it!!” の掛け合いには大きな笑い声が上がった(そのジョークが理解できる世代が多かった、ともいえる)。

アンコールは「4 little Joeys」と「On Your Holiday」。R2-D2のbagにdecorationをしまいかけたLakin’がそれをぶわ〜っと放り出す動作に、観客が激しく沸いた。YMOの「Public Pressure」というlive recordingのalbumを聴いてアメリカ人の歓声というものに胸を熱くしたものだが、この日それと同じ「Haoh~!」というかけ声を聞いて興奮した。ここは確かにNew Yorkだとそのとき思った。よく考えたらKiiiiiiiはYMOと同じことをしている。そのLiveの現場に自分がいることにも驚いた。実際にその場に立ち会ってわかったのは、一見派手にみえるそれが、当人たちにしてみれば孤独で結果の見えない賭け(long shot)のような営為だということだった。そんな勝負を二人は一ヶ月にも渡って続けてきたのだ。
 
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ライブが終わってから、前の席にいる日本のindies rockにやたらと詳しい男性と少し話した。彼は”Rock of Japan”というウェブサイトを主宰していて、そこにはこれまでに観たJapanese rock bandについてのlive reportが克明に記されている(帰国したらKiiiiiiiのこの日のreportも追加されていた)。彼も今回のUS Tourがきっかけで、Kiiiiiiiのことを気に入ってくれたようだった。終わってからu.t.にBGMのJackson Fiveについてしきりに質問していた。終演後はちょっと大人のKiiiiiiiファンの男性たちが物販コーナーに並び、DVDの「Gold and Silver」を片手に、ちょっとしたサイン会の様相だった。「明日も観に来るよ」「flyerに載っていない最終日のCindersってどこ?」…そんな会話が飛び交っていた。

この日、Kiiiiiiiのライブ中と転換時にVJをしていたのはmumbleboyさん。奥さんのkaoさんをパートナーに可愛い映像や人形をつくっている。東京にも時々来ていて6月には原宿のギャラリーで展覧会も行うそうだ。ぜひ観に行きたいし、家族の営みから自然に創作が広がっていく感じがいいなと思った。帰り際、さっきのMr.”Rock of Japan”から “Enjoy New York!”とあたたかい言葉をもらった(この日が旅の初日だった)。そのときは言えなかったが “Enjoy Kiiiiiii”、これがお返しの言葉だ。
 
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>>Kiiiiiii US Tour report 02: Cake Shop, NY, 04/APR/2007

SUPERヤンキートランス〜爆音路悪怒(ロード)第一章

SUPERヤンキートランス〜爆音路悪怒(ロード)第一章

4月1日(日)風土レコードからリリースされるコンピレーションCDシリーズ
『SUPERヤンキートランス〜爆音路悪怒(ロード)第一章』のデザインを担当しました。
かねてからの念願だった“ヤントラ”=ヤンキートランス関連の仕事を
やらせていただけることになり、うれしさもひとしおでした。
今回の仕事のために二輪免許も取りました。特別に公開します。
 
af2007-2
 
撮影はいつもお世話になっている、先日写真集『路上』を発行したばかりの
フォトグラファー北村乗史さんにお願いしました。
関東近郊の集団暴走ポイントをいくつかピックアップして検討した末、
初日の出暴走のポイントとしても知られる富士五湖近辺で撮影を行なうことに。
撮影の日には、話を聞きつけた関東一円の暴走族が河口湖周辺に殺到。
山梨・静岡両県警も出動し、緊迫した空気の中、迫力ある写真が撮れました。
書体は丸明オールドを太らせて使用。

このシリーズは今後も6月、8月、10月……と隔月ペースでリリースされ、
最終的には第十三章をもって完結する予定、だそうです。
第一章の目玉はなんといっても、先日活動休止を発表したRIDE ON BABY改め
“雷怒音邊威毘威”の名曲「沙羅璃威雷堕亜(=サラリーライダー)」

スーパーパラパラトランスミックス・アレンジ・バージョン。聴けるのはこのCDだけ!

ヤンキー要素満載のアゲアゲ・トランス・チューンを聞きながらデザインしていると
故郷の静岡で原チャリを直結竹槍に改造して、毎週暴走とナンパに明け暮れて
いた日々のことが懐かしく思い出され、胸がアツくなりました。
久々に湾岸にでも繰り出そう☆カナ。。。
 
af2007-3
 
 
追記(4/2):たのしんじていただけましたか? 目標は「筋トレ」の石井ゆかりさん。
ではまた来年。

五街道佐助(改め四代目隅田川馬石)の「淀五郎」

五街道佐助(改め四代目隅田川馬石)の「淀五郎」

寄席発祥の地と呼ばれる稲荷町・下谷神社で、五街道一門の寄席『五街道 FOREVER II 〜隅田川馬石への旅立ち〜』を落語の先輩たちに付いていって観ることができた。五街道佐助が今月、四代目隅田川馬石(すみだがわばせき)を襲名し、真打に昇進するのにともなうお祝い公演も兼ねていて、中入り後には一門による昇進挨拶も行なわれた。少し先輩の“桃ちゃん”こと桃月庵白酒が司会をつとめる学校寄席(小学校の営業でやる寄席の完全な再現)なども楽しく、小所帯ならではのアットホームな雰囲気に終始笑いが止まらなかった。

佐助のことはもちろん今回初めて知ったのだが、師匠の五街道雲助に入門したのが平成5年(1994年)だと聞いて、妙に親近感が沸いてきた。ふと振り返れば、かつて故郷の静岡から上京して前の会社にライター志望で入社したのが、ちょうど佐助が入門したのと同じ1994年だった。佐助が二つ目に昇進したのが平成8年(1997年)。これは当初目指していた編集・ライターへの道から方向転換してデザインを始めた年にあたる。それから10年後の真打昇進。デザインを始めてからもう10年になることに、このような思いがけない場で気付かされ、ちょっと吃驚した。デザイナーにも昇進制度があったら面白いのに、なんて思ったりもした。落語家の昇進制度は、若さ、師匠からの心技の継承、昇進後の円熟など、落語家の多くが備える独特の佇まいや気品の形成に寄与しているように思える。

昇進挨拶で佐助は、師匠の雲助に弟子入りしたばかりの頃に師匠の「淀五郎」を聞き、いつか自分もその噺をやってみたいと思っていた、と語った。その「淀五郎」を佐助はこの日の演目に自ら選んだ。初めて聞く「淀五郎」(←サイト「落語の舞台を歩く」より)は、芸事の精進をテーマとした、佐助の13年の道筋にも重なる噺で、その迫真の語り/演技とも相まって深く心にしみるものがあった。

「淀五郎」は、「忠臣蔵」の大役にいきなり大抜擢された新人役者の淀五郎が、自分を推してくれた先輩役者から、舞台上での“ダメ出し”と辛辣な言葉を食らって悩む、という噺。先輩役者を斬って、役柄よろしく自らも腹を切って死のうと覚悟を決めた上で訪ねた、古くから世話になるベテラン役者に淀五郎はこんな意味のことを言われる。「お客にいいところを見せようという気持ちがあるから、演技が大袈裟になる。本当にその役になりきって腹を切るのと、お客にほめられたいと思って切るのでは大違いだ」……ここを聞いて背筋がヒヤッとした。芸の探求ということに関しては、落語家もデザイナーも(たぶん他の仕事も)同じようなところがあるのかもしれない。先日、長年お世話になっているクライアントから「仕事は自己表現の場ではない」と非常に奥深いことを言われ、うーむと納得したときのことも頭をよぎった。

仕事が思うようにいかないとき、自己を取りまく殻に亀裂が入り、そこから示唆に満ちた外部の声が聞こえてくることがある。そこでその声に耳を傾けるか否か、が芸の道を行く者にとっては特に重要だと思う。まだ経験が浅いうちはその声を疎ましく感じることもあるかもしれない。が、逆にそういう時期こそ、殻を壊す機会にたくさん出会えるのもまた事実なのだ。……まだ初心者の分際ではあるけれど、数少ない落語経験の中から引っかかってくるのは不思議とこんな教訓ばかり。もちろんあとの90%は笑い転げている。
 

写真=ビクター二八落語会 隅田川馬石「元犬」「崇徳院」「甲府い」

「尊敬」について……談志師匠の言葉

「尊敬」について……談志師匠の言葉

落語フリークから教えてもらった、先日練馬で行なわれた立川談志一門会での、
談志師匠の言葉(又聞きなので、言い回しは実際と多少異なるとのこと)。
お題は「尊敬」について。

「ご隠居さん、“尊敬”ってえのは何ですか?」
「たとえばお前と私が同じことをやってるとする。
それで、私がお前よりも上で、お前が私よりも下だとする。
そうすると、この二人の間にあるのが尊敬だ。
お前が私を尊敬してくれれば、私はお前に
自分の知ってること(できること)を教えてやる。
そうしたら、お前も私の高さまで来れるんだ」

面白かったのでちょっと図にしてみた。
又聞きにつき、あくまでも自分なりの解釈ということでご勘弁を。
 
danshi
 
別に体育会的上下関係を推奨したいわけではないけれど、
図中の斜線部分の空間がどう見えるかが重要な気がする。
大きく開かれたライオンの口のように、常に怖れをたたえながら、
無言で何かを教えてくれる場所か。それとも単なる無か……。
自分をとりまく世界がフラットで、すべて自分と対等に
見えるようになってしまったら危険だなと思う。
 

写真=談志の落語 一 (静山社文庫)