Hello! Project 2020 Summer COVERS 〜The Ballad〜 夏ハロ中野初日C 「新しい興行様式」

Hello! Project 2020 Summer COVERS 〜The Ballad〜 夏ハロ中野初日C 「新しい興行様式」


 
東京都内の新型コロナウイルス感染者数が再び急増モードに。しかも初日にあたる7月11日(土)の前日には、新宿の小劇場シアターモリエールで、出演者を中心とするクラスター感染が発生……。どう考えても事務所がハロコン開催を決めた頃には予測してなかった状況だと思いました、これは。

自衛のため、せっかく当たったチケットが紙くずになっても「行かない」という選択もありえた。でもやっぱり行こうと決めたのは、午前の公演に行った人から流れてきた念入りともいえる感染対策を見て、だった。

入場前(ホール前広場)
ソーシャルディスタンスの目印が貼られた入場列に並ぶ

スタッフが持っている最後尾看板の裏面にあるQRコードを読み取って、「COVID19 -追跡システム-」登録ページへアクセスし、
1)メールアドレス 2)座席番号 の2点を登録
(入場時にも登録可能)

入場時:
(階段にもソーシャルディスタンスの目印)
↓非接触検温
↓追跡システム登録(その場で確認・チケットと照合)
↓アルコール消毒(スタッフから手のひらに)
↓チケット確認、荷物チェックの自己申告
↓足拭きマット(最初の枠で消毒、次の枠で拭く)
入場

会館内:
・マスク着用厳守
・アルコール消毒液の設置
・公演中の声援・発声禁止
・規制退場(1F⇔2F交互に、1〜2列ずつ退場)
・天窓など各所の換気
etc…

エスタ(警備)と会館スタッフはほぼ全員マスクとフェイスシールド着用。いつもは入場時に配られるオデッセーのチラシ配布もなく、必要な手順を踏んだ後は、あっけなく人の少ないロビーへと放り出された。通常は大混雑になる物販スペースもロープで封鎖されている。売店の列にもトイレの待機列にもソーシャルディスタンスを促す目印が。

分散入場でほとんどの入場が終わっていたからにしても、開演前の1F・2Fロビーにたむろする人がいつもに比べて極端に少ない。ソファーもソーシャルディスタンス。天窓もさりげなく開放して換気。アルコール消毒液が各所に設置され、ロビーではスタッフが一人常駐し、マスクの非着用などをチェックしている(注意を受けるようなヲタクは見る限り皆無だった)。

入口で登録を促される「COVID19 -追跡システム-」は、厚労省の接触確認アプリとは全く別物で、メアドと席番を捕捉しておき、のちのち感染が発生した際に備える目的らしい。

座席は一席おきに着席し、前後に空席を設けていた。ブロック・列単位で封鎖されている席もあったようなので、入場者数はキャパの40%くらいと思われる(公式発表では1000人)。男女比は目視で6:4くらい。

静まったホール内には小さな音量で、テレワーク歌唱の「負けないで〜愛は勝つ〜泣いていいよ」が延々とリピートしている。ステージ背面にはビジョンの設置がなく、したがっておなじみの開演前のCMもない。それでも重苦しさは全くなく、人の密度の薄さと二酸化炭素の放出量の少なさにより空気が美味しく感じられるほど(もちろんマスクを通して)。待つ時間は全然苦ではなかった。
 

本編と演出についてはネタバレ回避のため、ひとまずコンサートを観てざっくり感じたことを書く。
(歌唱順は毎回抽選で決められ、後半の公演の分は毎週金曜にOMAKEチャンネルで発表されるとのこと。中野の抽選結果は16日に公開)

普段に比べてとても簡素なステージの前面に、モニタースピーカーが6基並んでいる。つまり今回はイヤモニは使われていない。こういう素朴なコンサートを久々に観たなぁというのが、終わってすぐの感想だった。PAを通してスピーカーでホールが鳴る音を身体で感じ、照明がステージをふわっと照らすのを直接肉眼を通して見る。配信では絶対に味わえない感覚。ひとまずこれを届けたかったんだろうなということが伝わってきた(背面ビジョンがないのは、映像スタッフを省いて密を極力解消するためだと思われる。どうせ著作権的な理由で映像ソフトも作れないだろうし)。

大げさかもしれないが、敗戦後の焼け跡になった日本を数々の歌が照らした様子は、きょう観たハロコンのようなものだったのかも、と想像した。エンターテインメントとしてもゼロ地点からの新しいスタート。この簡素なステージと、普段のコンサートでは天地が裂けても絶対にやらないであろう、全編に渡るJ-POP〜歌謡曲のカバーを間近で見て、そのことを強く感じた。

東京を中心に再び新型コロナの感染者数が急激に増えている中、ハロコンを中止に、という声を(少数だけど)目にした。メンバーを心配する気持ちはわからなくもない。でも、もしこのまま無条件に公演を止めてしまったら、音響、照明、大道具、舞台演出、衣装、イベンター、etc……コンサートに携わるスタッフや運営会社の中には、これ以上体力を維持できずに力尽きてしまうところも出てくるかもしれない。一方でハロメンは、自粛期間のようなチャレンジ動画制作の日々にまた逆戻り。事務所がそのような状況で給料を払い続けることにいつまで耐えられるだろうか。

だからこそ危険を省みず無理にでもコンサートを開くべき、と主張したいわけでもない。危険に見える状況の中でも開催のための「条件」(会場の大きさ、換気、客席だけでなく楽屋裏も含めた十分な感染対策との関連性)を探りつつ、大丈夫な実績を少しずつ重ねていく。これからの興行はそういう努力なしにはもう開けないのかもしれない(新しい興行様式)。

音響、照明、衣装など、今回の現場が久々のスタッフもきっといたと思う。カラオケの出所について不思議に思っていたが、大久保薫さんのツイートで今回のためのオリジナル音源だと知った。そうやってお金が回っていくのも必要なこと。

まだ100%懸念が消えたわけではなく、メンバーが地方へ移動する際の感染がとても心配ではある。なにしろどこに落とし穴(時に地雷)が潜んでいるかわからないのだから。とにかく決して無理をしないでほしいと願う。
 

コンサートの最後に圭ちゃん(保田圭)が、観客に向かって頭を下げて訴えていたこと、それはアップフロントの西口社長が先日インタビューで伝えていた内容に近いと思われるので、リンクを載せておく。

>>モーニング娘。’20たちが挑戦する新たなアイドルコンサートの形 〈週刊朝日〉

自分もこのコロナ禍で、コンサートの開催を前提とした仕事をいくつか失った経験を持つ。前に音楽関係の会社に勤務していたので、コンサートの裏側でどういう人々が働き、その人達が現在どんな境遇で暮らしているかも大まかに想像がつく。興行を行う側に近い立場の感想のひとつとして受け止めてもらえたら、と思う。


 

ところで、長い間J-POPという音楽ジャンルに対して強い嫌悪感があり、それがハロプロを聴く理由にもなっていた。J-POP=「グルーヴのない音楽」という先入観から、歌う人によっては歌詞(メッセージ)主体でグルーヴがおざなりにされてしまうのが気持ち悪いとずっと思っていた。

でも今回、J-POP(それ以前の昭和の曲も多数)、しかもバラードという縛りの中で、ハロメンの歌声の中にグルーヴ的な要素を感じ取ることができたのが大きな発見だった。中でも清野桃々姫、竹内朱莉、浅倉樹々、山﨑夢羽の歌唱が印象に残った。桃々姫のソロはひなフェスや実力診断テストなどで何回か聞いたが、いつも堂々としていて好感が持てる。

上手い下手の次元を越えて心を突き抜ける瞬間が訪れるのもアイドル的歌唱の魅力で、橋迫鈴、工藤由愛、山﨑愛生ほか何人かの歌にそれを顕著に感じた。宮本佳林と小田さくらの二人はほんとうの意味で何かを超越していた。佳林ちゃんやきしもんは何を歌っても自分の歌という感じだし、小田さくらはもはや自分の歌という次元も超えそうなところまで来ていた。

何回か歌ううちに良くなっていくことも絶対あるだろうし、後半や違うチームの公演も(行けなそうだけど)行ってみたいと思った。

おまけ)
・ビジョンがないため双眼鏡はあると便利。中野の2F最後列に近い席で、8倍の双眼鏡なら一人分の顔から全身が見渡せる。5倍だと厳しい。

・アンオフィ屋はいなかった。自粛…。
 

>>J-POPバラードをソロ歌唱で堪能 夏のハロー!プロジェクト・コンサート開催|CDJournal

>>【ライブレポート】夏のハロコン開幕、ソロ&バラードツアー初日にモー娘。譜久村「皆さんの顔見てウルってきました」(写真13枚)|音楽ナタリー

↑直接取材ではなくメディア各社に宣材(オフィシャルの写真とメンバーのコメント、コンサートの概要)を渡して自由に書いてもらうスタイル

>>コロナ禍でも「観客あり」コンサート ハロプロの徹底した感染対策|ライブドアニュース

↑ハロコンの感染対策に特化した記事

小沢健二が『So kakkoii 宇宙』で結ぶ、君と僕との「約束」

小沢健二が『So kakkoii 宇宙』で結ぶ、君と僕との「約束」

音楽を聴く時、リズムやメロディのような楽曲の外形的な要素にばかり耳が行ってしまうことが多い。やれこの曲はフィリーソウルだ、とかEDMやベースミュージックの影響を受けているとか、このベースラインは誰々のあの曲へのオマージュだとか。

いつしか歌詞について考えることは、自分の中でも二の次、三の次になってしまった。洋楽でも邦楽でも基本的に歌詞はほとんど見ないし、ヴォーカルはリズム楽器のひとつ、くらいに捉えていたこともあった(それでもハロプロを本格的に聴くようになり、MVを見てつんくの書く歌詞に染まってからは随分変わったと思うけれど)。

そんなぼくにも、小沢健二の新作『So kakkoii 宇宙』の歌詞における、小さくて大きな変化をすぐに感じ取ることができた。

……「約束」が増えたな、と。

人気のない路地に確かな約束が見えるよ
──「流動体について」

それは君と僕との約束を乗せ
オオカミのように 月に吠える

──「シナモン(都市と家庭)」

君が僕の歌を口ずさむ
約束するよ そばにいると

──「薫る(労働と学業)」

たった3曲?と思うかもしれない(自分でも思った🙂)。でも、それまでの長い小沢健二の活動史の中で「約束」というワードが歌詞に出てきたのは、「天使たちのシーン」の客観的な風景描写の中の一回(「大きな音で降り出した夕立ちの中で 子供たちが約束を交わしてる」)だけだった。

それが「流動体」「シナモン」と、アルバムのための新曲「薫る」で一気に3曲も増えた。これはやはり、何か新しい変化の兆候と捉えるのが自然ではないだろうか。


 

『So kakkoii 宇宙』は、「彗星」の歌詞に「1995年」という西暦年が出てくるためか、『LIFE』や当時のシングル曲と比べて論じられることが多いように感じる。

タモリが終了間際の「笑っていいとも!」や最近のMステでも語ったように、小沢健二の歌詞には常に「全肯定」の思想がある……ということらしい。しかし、その「全肯定」のありようや強度に関して、たとえば『LIFE』の頃と現在とでは大きく変わったように思えるのだ。

タモさんもいいともで引き合いに出していた「さよならなんて云えないよ」の歌詞。

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

この少し前には、実はこんな言葉も書かれている。

“オッケーよ”なんて強がりばかりを僕も言いながら
本当は思ってる 心にいつか安らぐ時は来るか?と

時代的狂騒、パーティーや恋人同士のいつまでも続くような「奇跡」的で「刹那」的な今のこの瞬間。小沢健二の歌詞の主人公は、目の前の光景を全力で肯定する一方で、そんな時間にもいつか終わりが来るかもしれないことを心のどこかで察知しつつ、その(不)確かさを常に問い続ける。

たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろ
──「ドアをノックするのは誰だ?」

今のこの気持ちほんとだよね
──「強い気持ち・強い愛」

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?

──「ある光」

結婚だって、「約束」だなんてそれはちょっと。

僕をじっと見たってダメだよ 結婚してってそれはちょっと
決定だねってイヤだよ 一緒に住んでやめときなって

──「それはちょっと」

今という瞬間への強い肯定を表明しながらも、それが永遠に続く保証や、まして「約束」までは与えることはできない。「たぶん」このまま、ずっと続くだろう、と言えるまでがせいぜい。それが90年代までのオザケンだった。もっともそれこそが多くの人々を永遠に引きつけてやまない、小沢健二の楽曲・歌詞の大きな魅力だとぼくも思うし、みんなもそれを知っている。

しかしここに来て、そんな小沢健二が「約束」というこれまでになかった強い言葉を(主体的な意味で)使うようになった背景には、外国生活を経た経験と見聞がもたらした人間的成長や心境の変化もさることながら、「子ども」という人生の共同制作者を得たことが最大級に強く深く影響しているのではないだろうか。

「薫る(労働と学業)」なんて、ひとたび「君」=子ども(りーりー)に置き換えると、その恋人同士よりも眩しい時間に目のやり場をなくしてしまいそうになる。視覚と触感に強く訴える自作のCDパッケージも(ブルーノ・ムナーリの作品のような)「しかけ絵本」そのものだし。

……と、ここまで短い考察を重ねたところで、あとの複雑な仕事は評論家や熱心なオザケンのファンのみなさんに委ねたいと思う。

それにしても、ジャケット表紙に息子の写真なんてどんだけ〜☆(theジャイアント)と半分呆れつつも、自分も思い起こせば娘が生まれて数年間、毎年年賀状が娘の写真でしたと白状。

>>First Light|パラグラフ

light
 
Every Breath You Take
 

初出:note|utsuwa

参考
>>「あれは生命の最大の肯定」タモリが絶賛した小沢健二|てれびのスキマ
>>タモリと風間俊介が明かす、小沢健二への愛(文=飲用てれび)|日刊サイゾー

鈴木翼10周年記念コンサートに行ってきた

鈴木翼10周年記念コンサートに行ってきた

9月23日(月・祝)、有楽町朝日ホールで開かれた、あそびうた作家の鈴木翼10周年記念コンサート「こころがおどる」に行ってきた。この日のために、チラシや、Tシャツなどのグッズ、来場者に配布されるパンフレットのデザインをお手伝いした。10周年の記念Tシャツは大好評で、開場早々にたちまち売り切れてしまった。

鈴木翼(すずきつばさ)と言っても知らない人にとっては知らない名前だろう。NHKの「どーもくん」などの番組で自作のあそびうたを紹介したり、保育士さんや家族向けのライブで日本中を飛び回っている。30代までの子育て中のファミリーにはなじみ深いかもしれない。まだ保育士だった頃、絵本作家・シンガーソングライターの中川ひろたかさんに見出され、あそびうた作家が多数在籍するソングブックカフェの所属アーティストとなってから、あそびうたやオリジナルソング、絵本執筆など、活動の領域(=翼)を大きく広げてきた。今年がそんな彼のデビュー10周年にあたるというわけだ。

コンサートはバンドをバックに代表的なあそびうたと絵本・ミュージックパネルの実演などで構成された前半のソロパートと、これまで活動を共にしてきたアーティストとのコラボを中心とした後半に分かれ、トータルで2時間半以上に及んだ。優しさや誠実さの中に子どものようにピュアな精神も伺えて、笑いあり涙ありと人間味にあふれる内容で、翼くんの10年間の全てを出し切ったコンサートになっていたと思う。

入場時に配られたパンフレットに掲載されている、翼くんの自筆による「鈴木翼セルフライナーノーツ2008-2019」。事務所所属前にリリースされた1stミニアルバム『こころがおどる』(今回のコンサートのタイトルにもなった)から、2019年の最新作までの全52作品について、ひとつひとつに丁寧に心のこもったエピソードと関わった人々への謝辞が述べられている。これを読んだ誰もが、翼くんがこれほどまでに丁寧に作品づくりに取り組んできたことに驚くに違いない。実際ぼくもぎりぎりに届いた原稿を読ませてもらって非常に驚いた。翼くん(の作品)と、いつどのようにして出会ったか、ライナーノーツを読みながら記憶をプレイバックするのも楽しい。

自分でもおぼろげな記憶をたどっていくと、2012年頃、ケロポンズのポンちゃんに誘われて、安曇野の友人家族と一緒に、長野のどこかでソロライブを観たのが最初だったと思う。それまでも中川ひろたかさんの野球チームで出会っていたはずだったが、ソロアーティストとしてはっきりと認識したのはそれが初めて。あそびうただけでなく、育児に日々悩むお母さんや保育士さんに向けて作られた弾き語りのオリジナル曲に心が癒やされ、終演後「ライブすごく良かったね」と言葉を交わしたのだった。

その曲はこの日のコンサートの最後の方でも披露された。実は、翼くんの印象は7~8年前に初めて出会った時とほとんど変わっていない。初々しさと謙虚さをデビュー当時から大切に持ちづづけている。きっと10年後、20年後も翼くんはこのままずっと翼くんであり続けるだろう。


中央の翼くんが手に持っているのがパンフレット


会場スタッフに頼んで撮らせてもらった

>>ちょっとだけ体操 ~Hoick CDブック~|パラグラフ|下山ワタル

雨近対談:楽曲大賞とハロプロ’18

雨近対談:楽曲大賞とハロプロ’18

A:今年はハローの現場に全然行ってない。去年と比べると雀の涙くらい(涙)。
C:今年に入ってチケットを買ったのは、去年申し込んで当たったカントリーのバレンタインイベントを除けば、12月の研修生発表会「みかん」だけ。毎年行ってたおぜこのバースデーイベントも今年は風邪で休んでしまったし。
A:DA PUMPの池袋噴水広場がいちばん盛り上がった(笑)。
C:あれはすごかった。その少し前に同じ場所でそこそこ集まっていたJuice=Juiceのリリイベがお葬式に思えるくらい。地方のお祭りみたいな盛り上がりだった。ハロヲタもよく頑張った。
A:今年はいろんな意味で、心と財布に余裕が足りなかった。あと、アイドルにちょっと飽きてしまったところも正直あって。
C:夏にPINK CRES.を初めてちゃんと聴いて、ものすごくハマってしまった。うちの娘(10歳)までドハマリして、「キレイ・カワイ・ミライ」を毎日のように歌ってた。歌詞の世界観も良いし、K-POPに通じる大人カワイさみたいなのが3人共にある。
A:1stはトラックメイキングも良質で、隠れた名盤だった。タイミングを逃してしまい、現場に行けなかったのが残念。
C:今年は非アイドルに目が向くモードだったのかも。同志社ミスコンのハロヲタ米田紗英ちゃんに毎日欠かさず投票してたし(笑)。彼女も大人カワイさの象徴みたいなところがあった。
A:将来どうなるのかな。いつか有名になって、ハローを引き立ててもらいたい。

 
A:では今年のハロプロについて、楽曲大賞の投票結果を振り返りながら。
C:5曲に絞るのにめちゃくちゃ悩んだ。娘。、J=J、つばき、研修生と、アルバム曲だけでもかなり充実していたから。
A:1位は、こぶしファクトリー「きっと私は」
C:グループとしてはいろいろあったけど、つんくから明るい曲をもらえて。
A:サビ始まりで複数のメロを間にはさんでループしていく、娘。の名曲「笑って!YOU」に近い構造。良い珍曲。
C:辛かった夏頃によく聴いて、元気をもらった。凹んでも頑張ろうっていう気持ちになれる。渋江監督のMVも良かった。
A:2位は意外。ハロプロ研修生「43度」
C:自分の中ではアンジュルム「46億年LOVE」へのアンチテーゼみたいな意識も少しあった(笑)。児玉雨子の快進撃の中、この曲における福田花音の歌詞を高く評価したい。
A:「サンタクロースの正体、小2で気づいて暴いてる」という神フレーズ!
C:うちの娘は小4、つまりつい先日気づいたっぽい。暴かず、そのままもらい続ける戦略らしい(笑)。
A:アレンジも、赤羽橋ファンクの典型。
C:アンジュの「46億年」みんないいって言うし確かにそうだけど、林田健司の作曲は良質すぎてそれこそジャニーズとも取替可能で、そのぶんハロプロ的計算不能な余白や遊びに欠ける印象を受けてしまった。それが、ここ数年のアンジュの(楽曲表現としての)生真面目さにも通じている。
A:MVの珍奇さでバランスを取っているようには見えるけれども。
C:別につんく純正の楽曲じゃなくても、簡単にやるなら「泡沫」の「あと58秒~」とか。でも、アンジュとしてはそれはしないんだろうね。

 
A:3位は、これも渋いところから、Juice=Juice「素直に甘えて」。アルバムの曲。
C:Juice=Juiceの歌としての魅力は、かなとも、さゆき、あーりーの3人のしっとりした低めの声に、中間のゆかにゃ、そしてトッピングのような佳林ちゃんのハイトーンヴォイス。これに尽きると思うんだ。この曲は5人時代のジュースの魅力が100%出てる。
A:路線も初期のジャズファンク風味に回帰しているし。
C:ルパン三世のエンディング、大野雄二テイスト。艶っぽい。
A:やなみんの卒業に、まなかんの加入、と今年もいろいろあったけど。
C:先ほどのヴォーカルの話に戻ると、今までのジュースの曲は5人の声の魅力を活かす方向で作られていた。
A:新メンバーの加入によってその構造が揺らいでしまう、と。
C:るるちゃんはの声は低域にも高域にもよく伸びるし、加入して大正解だった。逆に言うけど、やなみんの声は高域ではあっても、佳林ちゃんのように芯の強さはないので使いどころが難しい。
A:あと、5人時代は神曲だった「あばれてっか?! ハヴアグッタイ」が8人で録音すると凡庸に聞こえてしまったりとか。
C:あれは勿体なかった。去年まで次の楽曲大賞で絶対入れるつもりだった。あのクイーンっぽいドスの効いたハードロック感がよかったのに。
A:微妙なバランスでカワイイ寄りになってしまった。
C:だから今度やなみんがジュースを離れてしまうことも、残念だけど音楽面だけでいえばありなのかもしれない。まなかんも決して声量がある人ではないし、同じメンバーで長く続いてるグループへの新加入はいろいろ難しい、という結論に。

 
A:4位が、つばきファクトリー「表面張力 ~Surface Tension~」。これも鈴木俊介編曲の、典型的な赤羽橋ファンク。
C:笑っちゃうよね。ファンクをやれば何でもハロプロになるってわけじゃないけど、これはちゃんとなってる。
A:つばきの曲は王道を押さえながらもバリエーションがあって、どんな人にもどこかしらハマる要素があった。
C:「今夜だけ浮かれたかった」のスカ/ニューウェイヴぽいAメロもカッコいい。品がある。
A:5位に、カントリー・ガールズ「傘をさす先輩」。カップリングの方。
C:渋谷系っぽい曲も可愛かったけど、「恋マグ」に通じる世界がカントリー・ガールズらしくてこっちを選んだ。
A:おぜこの歌い出しも最高。
C:切ないよね。声もしっとりして大人っぽくなった。
A:Zeppのカントリーライブ、久しぶりに行ってみたい。まず当選しなくては(この直後にやなみんの卒コンZeppのお知らせ……)。
C:この間のZeppで「初めてのハッピーバースデイ」の’15 Ver.を3年ぶりにやったと聞いて、行けばよかったと後悔した。本当に大好きなので。
A:あのヴァージョンといえば、ひなフェスのうたちゃんのダンスを思い出すな。
C:うたちゃんも今年はいろいろと……長くなりそうなので割愛。『カントリー・ガールズ大全集』の発売を首を長くして待ちたい。
A:今年は、5位未満の次点も充実していた。ここには出てこなかったモーニング娘。’18についても一言。
C:アルバムも全体にクオリティが高かったし、シングルでは「Are You Happy?」がとにかく良かった。「青春Say A-HA」から続くトライバル路線の到達点だと思う。
A:「A gonna」のTrapにも驚いたけど、「Are You Happy?」は音圧含め何から何まで圧倒的だった。
C:細野晴臣さんがラジオで「負けた」と言っていたのは、この曲のことなんじゃないかと思ってる。

>>2018.11.25 Inter FM「Daisy Holiday!」>>|logs & records
 
A:最後に推しについて。
C:おぜちゃんは推しだけどある意味、箱推しのシンボルみたいなところがあって。おぜちゃんがいちばん可愛く幸せに過ごせるような、温かい居場所としてのカントリー・ガールズがいつまでも家族のように続けばいいと思っていた。でも一昨年の6月以降、そうも行かなくなってしまい(涙)。
A:傷はまだ癒えていない…。
C:いやメンバーたちの手前、そんなことは言えないでしょ。とにかくおぜこにはこのまま、昔のりんねみたいにカントリーの心を守って生き延びてほしいと願うよ。そのうち山木さんがメジャーリーガーをつかまえて、新カントリー・ガールズを作るから。
A:里田か!
C:その時はおぜこがPMで(笑)。
A:かえでぃーについても触れておこう。今年は加賀楓温泉郷で大きくブレイクした。
C:イケメン風のキリッとしたイメージとは裏腹にほんわかしてるところが、かえでぃーの本質だと思う。加賀温泉郷の一連の広告は、等身大の加賀楓をちゃんと引き出しているのがすごいと思った。
A:過去にあんな形で世の中に出たメンバーはいなかったはず。
C:DA PUMPの件と同じように、ファンコミュニティの新しい可能性を感じたね。
A:アイドルが自ら山手線広告全駅制覇したり、本来マネージャーがやるべき仕事をやってあげる必要は全くなくて。
C:そうだね。アイドルとしての才能の部分以外、何もできなくていい。無能だって構わない。そのぶんヲタが代わりに一生懸命動いてくれるから。


 
A:20周年企画にも、新グループ(ビヨーンズ)にも触れる時間がなかった。
C:じゃあ、それは次回に、ということで。
A:次回があるのか?? というわけで淡々と終わります。お別れの曲は「ハロー!ヒストリー」

感想:『クソ野郎と美しき世界』を観てきた

感想:『クソ野郎と美しき世界』を観てきた


image by kinofilms.

『クソ野郎と美しき世界』は、新しい地図(稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾)の第一回製作作品として発足当初からアナウンスされていた映画だった。しかし上映期間が2週間と短い中、自分の観測範囲でひそかに参考にしている映画好きの人々も観ていないようで、良い反応も良くない反応も目にする機会がないまま、三人のTwitterによるともうそろそろ終わりか? 地上波ではまず見られないだろうと考えると、いましかない!……とりあえず劇場へ、と思いスケジュールを調べると、渋谷~新宿など主要地区の多くが満席だった中、夕方終了のちょうどいい時間の空席有りの回をTOHOシネマズ日本橋で見つけ、仕事を片付けてギリギリなんとか間に合うことができた。キリのいい翌日金曜日までかと思ったら、なんとその日が最終日だったという…。
 

感想を始める前にひとつだけ……鑑賞終了直後の感想ツイートに、ファンの方から多くのRTやいいねを頂いた。映画関係者でもマニアでもなく、特別大したことが言えてるわけでもない、一般の人の素朴な評価にそのような反応を頂けた理由について、浮かれるでもなくただ冷静に考えてみると、まさにその「一般の人の素朴な評価」こそ、ファンの人々が真に求めていたものだったのではないか、と。マスコミ向け試写会も無し、期間限定上映、と明確にコアなファンを想定したプロモーション展開のおかげで、ファン以外の普通の観客の声がなかなか伝わりにくい状況にあったのは事実だと思う。
 


 
では一般の人の自分はこの映画を観てどう感じたか。結論から先に言うと、『クソ野郎と美しき世界』は彼らの熱烈なファンが満足して終わりの閉じられた作品では決してなかったし、長い間エンターテインメントの第一線で活躍してきた彼らにふさわしい、しかも非常に新しい形の娯楽映画になっていた、と観終わって数日経ったいまも強く実感している。

 

「ピアニストを撃つな!」と、B級映画の記憶

月に何本も新作を観に行くわけでもないごく普通の映画好きだけど、父方の祖父が映画の看板屋を営んでいた関係で、幼い頃から東宝・東映系の邦画の新作(怪獣モノに始まって、大人が観るような娯楽映画や角川映画など)を里帰りのたびにタダで観ることができた。そこから遡って60~70年代の日本映画にも少し触れたりして、邦画への愛情や記憶が身体の奥に染み付いているようなところはあるかもしれない。
 
昔の日本映画は、いい意味でのB級テイストが漂っていたり、アイドル映画がその後第一線で活躍する監督の実験場になっていたりと、とても自由だった。園子温監督のEp1「ピアニストを撃つな!」には、古き良き時代の活劇(アクション)映画のB級感覚やバッドテイストがぎっしり詰まっていて、冒頭数分からいきなり持って行かれた。園作品のトレードマークである「疾走」も健在だった。
 
馬場ふみか、スプツニ子などのキャスティングも絶妙で(とくに馬場ふみかはこれで完全に化けた)、実在の彼女たちじゃなく、ちゃんと物語の中の奇妙な人物としてそこにいる。浅野忠信や満島真之介の起用も含め、ありがちなキャスティングに囚われない新鮮さがあって、その中で吾郎ちゃんも安心してキレイ(でマッド)な貴公子になりきっていたと思う。
 
それと全編通して感じたのが、セリフが音響的にとてもクリア。音楽と会話にもメリハリがあって、そのぶん人と人との関わりがより強くこちらに迫ってくるように感じられた。
 

「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」と、非現実のような現実

「新しい詩」を除く3作では、このEp2「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」が最も好みだった。現実と非現実がごちゃまぜになった少し不思議なファンタジー。香取慎吾の役どころも本人(慎吾ちゃん)。ここでもモデル出身の新人・中島セナ(撮影当時11歳)ツイートより)の起用がこれ以上ないくらいハマっていた。この年齢差のコラボから、随分昔の「沙粧妙子−最後の事件−」での、ブレイク直前の広末涼子と慎吾くんの共演を思い出したり(曖昧な記憶…)。尾乃崎紀世彦のカタストロフの描写、慎吾くんの元おっかけだった刑事とか、ユーモアと恐怖が常に隣り合わせの面白さに引き込まれた。
 

 
3作の中では、ここまでのSMAPをめぐる騒動を最も直接的に扱っている物語だと思う。「歌喰い」という設定自体、もう彼らをずっと苦しめていた状況そのものだし。きっとぼくが気づかないだけで、沢山の隠されたメッセージをそこに読み取ることが可能なんだと思う。でもその種の謎解きはあったとしても、物語の前面に出てきて普通の観客を置いてけぼりにするようなものでは決してなかったはず。あの悲惨だった状況をこうしてフィクションや謎解きのようなネタとして扱えること自体、彼らの意識が既にミライへススんでいることの現れに違いない。
 

「光へ、航る」と、希望の光

実は最初、このEp3「光へ、航る」が始まってしばらくは不快な気持ちが続いていた 🙂 暴力描写がどうしても苦手で…。しかしその第一印象に反して、草彅くんのちょっとした表情とか、東北の田園地帯とアメ車のミスマッチ、尾野真千子扮する妻と草彅くんの夫婦の掛け合いのバカっぽさとか、何でもない場面が無意識のうちに、心の内側に次々と積み重なっていくのを感じていた。
 

そして、積み重なった自分でも何だかわからない心の堆積物が、最後の方のある場面で一気にどしゃーーっと音を立てて崩れ落ちる。別のツイートでも示したように、この場面は個人的なエピソードと強く結びついていた。ぼくが将来この世でやり残してしまうかもしれない無念な思いも、いつか自分の娘がきっとあんなふうにぼくのいない未来の世界へと繋いでくれるのだ、という希望と安心感を(剛速球で)受け取って、胸の奥が詰まりそうになってしまった。
 

この希望や安心感は、おそらく自分のように特別なエピソードを持たない人のところにも、草彅くんの渾身の演技と、太田光監督の才能あふれる画作りとストーリーテリングの力によって、同じように届いたのではないかと信じている。
 

新しい詩」と、新しい映画の形

この映画の感想を記すにあたり、TBSラジオのムービーウォッチメンの宇多丸さんの録音を聞いてみた。辛口と言いながら、すごく細かいところまで丁寧に掬ってくれているなあという印象を持ちつつ、その中で宇多丸さんが《映画として》というワードを連発しているのが気になった。(『ペンタゴン・ペーパーズ』と同じ土俵で勝負するような)映画作品としてはまだまだ不足が感じられる、というニュアンスだったと解釈している。けど、誤解を恐れずに言うと、『クソ野郎と美しき世界』は、一見映画の形をしているけれども、従来の映画とは少し違った場所にいる作品だというのが、ぼくの認識だった。
 

『クソ野郎と美しき世界』には、映画や、地上波ドラマ、CM、ミュージックビデオといった別々の表現の要素が、渾然一体となって接ぎ木されている。それらの表現は全て、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の三人がこれまで「演じる主体」として取り組んできた対象だった。それらを分け隔てたり、映画のフォーマットに行儀よく押し込めたりするのではなく、ひとつの作品という箱の中にごちゃまぜに放り込んだところが、この映画の「映画として」の枠に収まらない、既存の言葉では形容できない新しさであり面白さなのではないか、と。本当にこの映画を表す専用の言葉がほしい。心からそう思った。
 
先ほど「接ぎ木」という言葉を使ったが、それらの表現が最終的に接ぎ木される「元」でありゴールが、Ep4「新しい詩」で示されたように「音楽」「歌」「ショー」であったということが、今後の彼らにとってもきっと大きな意味を持つようになるだろうと思います。
 

 
新しい地図の三人のそれぞれの活躍と、彼らを支えるチームが起死回生の場所から仕掛けたプロモーションやブランディング戦略に、勇気とヒントをもらって、自分の絵を使ったとても小さなプロジェクトを始めようと思っているところです。でも、おそらくそこで絶対に真似できないと思うのは、彼らを支える熱心な沢山のファンの応援の力。それを思わぬ形で目の当たりにしなかったなら、GW進行の最中にこのような長い感想は書けなかったと思います。……ということで、また逢う日まで、逢える時まで。