小沢健二が『So kakkoii 宇宙』で結ぶ、君と僕との「約束」

小沢健二が『So kakkoii 宇宙』で結ぶ、君と僕との「約束」

音楽を聴く時、リズムやメロディのような楽曲の外形的な要素にばかり耳が行ってしまうことが多い。やれこの曲はフィリーソウルだ、とかEDMやベースミュージックの影響を受けているとか、このベースラインは誰々のあの曲へのオマージュだとか。

いつしか歌詞について考えることは、自分の中でも二の次、三の次になってしまった。洋楽でも邦楽でも基本的に歌詞はほとんど見ないし、ヴォーカルはリズム楽器のひとつ、くらいに捉えていたこともあった(それでもハロプロを本格的に聴くようになり、MVを見てつんくの書く歌詞に染まってからは随分変わったと思うけれど)。

そんなぼくにも、小沢健二の新作『So kakkoii 宇宙』の歌詞における、小さくて大きな変化をすぐに感じ取ることができた。

……「約束」が増えたな、と。

人気のない路地に確かな約束が見えるよ
──「流動体について」

それは君と僕との約束を乗せ
オオカミのように 月に吠える

──「シナモン(都市と家庭)」

君が僕の歌を口ずさむ
約束するよ そばにいると

──「薫る(労働と学業)」

たった3曲?と思うかもしれない(自分でも思った🙂)。でも、それまでの長い小沢健二の活動史の中で「約束」というワードが歌詞に出てきたのは、「天使たちのシーン」の客観的な風景描写の中の一回(「大きな音で降り出した夕立ちの中で 子供たちが約束を交わしてる」)だけだった。

それが「流動体」「シナモン」と、アルバムのための新曲「薫る」で一気に3曲も増えた。これはやはり、何か新しい変化の兆候と捉えるのが自然ではないだろうか。


 

『So kakkoii 宇宙』は、「彗星」の歌詞に「1995年」という西暦年が出てくるためか、『LIFE』や当時のシングル曲と比べて論じられることが多いように感じる。

タモリが終了間際の「笑っていいとも!」や最近のMステでも語ったように、小沢健二の歌詞には常に「全肯定」の思想がある……ということらしい。しかし、その「全肯定」のありようや強度に関して、たとえば『LIFE』の頃と現在とでは大きく変わったように思えるのだ。

タモさんもいいともで引き合いに出していた「さよならなんて云えないよ」の歌詞。

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

この少し前には、実はこんな言葉も書かれている。

“オッケーよ”なんて強がりばかりを僕も言いながら
本当は思ってる 心にいつか安らぐ時は来るか?と

時代的狂騒、パーティーや恋人同士のいつまでも続くような「奇跡」的で「刹那」的な今のこの瞬間。小沢健二の歌詞の主人公は、目の前の光景を全力で肯定する一方で、そんな時間にもいつか終わりが来るかもしれないことを心のどこかで察知しつつ、その(不)確かさを常に問い続ける。

たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろ
──「ドアをノックするのは誰だ?」

今のこの気持ちほんとだよね
──「強い気持ち・強い愛」

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?

──「ある光」

結婚だって、「約束」だなんてそれはちょっと。

僕をじっと見たってダメだよ 結婚してってそれはちょっと
決定だねってイヤだよ 一緒に住んでやめときなって

──「それはちょっと」

今という瞬間への強い肯定を表明しながらも、それが永遠に続く保証や、まして「約束」までは与えることはできない。「たぶん」このまま、ずっと続くだろう、と言えるまでがせいぜい。それが90年代までのオザケンだった。もっともそれこそが多くの人々を永遠に引きつけてやまない、小沢健二の楽曲・歌詞の大きな魅力だとぼくも思うし、みんなもそれを知っている。

しかしここに来て、そんな小沢健二が「約束」というこれまでになかった強い言葉を(主体的な意味で)使うようになった背景には、外国生活を経た経験と見聞がもたらした人間的成長や心境の変化もさることながら、「子ども」という人生の共同制作者を得たことが最大級に強く深く影響しているのではないだろうか。

「薫る(労働と学業)」なんて、ひとたび「君」=子ども(りーりー)に置き換えると、その恋人同士よりも眩しい時間に目のやり場をなくしてしまいそうになる。視覚と触感に強く訴える自作のCDパッケージも(ブルーノ・ムナーリの作品のような)「しかけ絵本」そのものだし。

……と、ここまで短い考察を重ねたところで、あとの複雑な仕事は評論家や熱心なオザケンのファンのみなさんに委ねたいと思う。

それにしても、ジャケット表紙に息子の写真なんてどんだけ〜☆(theジャイアント)と半分呆れつつも、自分も思い起こせば娘が生まれて数年間、毎年年賀状が娘の写真でしたと白状。

>>First Light|パラグラフ

light
 
Every Breath You Take
 

初出:note|utsuwa

参考
>>「あれは生命の最大の肯定」タモリが絶賛した小沢健二|てれびのスキマ
>>タモリと風間俊介が明かす、小沢健二への愛(文=飲用てれび)|日刊サイゾー

筒美京平SONGBOOK[増補新訂版]

筒美京平SONGBOOK[増補新訂版]

プレイリスト企画第2弾として(第1弾はK-POP PLAYLIST 2019 SUMMER)、作曲家・編曲家の筒美京平が、1965年の作家デビュー以来、2019年現在までに作曲(編曲)した曲を、Spotifyに登録された楽曲から選んでプレイリストにまとめました。

(本稿の人名はすべて敬称略)

1966年8月に藤浩一のシングルとして発売され、翌年までに7組のシンガーにより競作された「黄色いレモン」が筒美京平の作曲家としてのデビュー作でした。以来、作曲家・編曲家として数え切れないほどのヒット曲を量産し、現在もなお(2019年時点で79歳)コンスタントに作曲活動を続けています。

このプレイリストを作った理由

どうして音楽研究家でもなんでもない、ただのグラフィックデザイナーにすぎない自分が、このようなプレイリストを作ろうと考えたか。

小沢健二の17年ぶりのオリジナルアルバム『So Kakkoii 宇宙』のリードトラックとして、10月11日に突然リリースされた「彗星」を聴いて、筒美京平と共同作編曲した1995年のシングル「強い気持ち・強い愛」に通じる世界(歌謡曲+フィリーソウル)を感じたのがきっかけでした。そんな中、台風19号の襲来のため一歩も外に出られなかった夜に、Spotifyで再生時間8時間以上におよぶ筒美京平関連曲のプレイリストを聴いてみたら、思いのほか面白く、沢山の発見がありました。

その後、筒美京平全作品を網羅した記録集『筒美京平の世界[増補新訂版]』(P-Vine Books・2011年、トップの画像も同書からの引用 絵:和田誠)を読むと、上記のプレイリストの収録曲以外にも興味をそそる楽曲が沢山あることがわかりました。それらを補うかたちで、筒美京平の全仕事を「増補新訂版」的にまとめてみようと思って作ったのが、今回の200曲以上、再生時間12時間を超えるプレイリストです。

とはいえ、これはSpotifyに限らずストリーミングサービスの限界ですが、代表曲の多くが未登録のため、惜しくも今回のセレクトから漏れた曲が沢山ありました。作曲家デビュー曲の「黄色いレモン」と60年代の大半の作品。ジャニーズ事務所出身・所属の男性歌手(郷ひろみ、近藤真彦、少年隊、SMAPなど)。小泉今日子中山美穂をはじめとする黄金期の女性アイドル。90年代では、裕木奈江、鈴木蘭々、内田有紀ほかの女優兼シンガーへの提供曲。2000年以降では、安倍麻美、Buono!、ゲーム内のBGMを全編手がけた『いただきストリート2』サントラ、etc……。それでも時代の要請に応じたバリエーションの豊かさと、フィリーソウルや洋楽ポップスへの愛情は十分伝わってきます。

資料は『筒美京平の世界[増補新訂版]』をベースに、刊行年以降(2012~)の曲は筒美京平のウィキペディアを参考にしました。

この経験がデザイナーとしての自分の仕事に還元されるか?といえば、疑いなく「No!」だと思います。ただ音楽が好きという気持ちに動かされてやっています。
 

選曲にあたってのルール

★2019年現在からデビュー年に向かって時代を遡る順に並べています(新→旧、一部例外あり)。
★シングル曲メイン。アルバム曲からも選ぼうと思いつつ、あまりに膨大なので断念しました。
★ひとつのテイストや自分の好みに寄せすぎず、代表曲、ヒット曲も含め、ポップス、ロック、演歌など多様なジャンルから選ぶと共に、時代の空気が伝わるように心がけました。
★Spotifyに収録されている範囲で、筒美京平から楽曲提供を受けた各アーティストの曲を最低1曲は必ず入れています。
★原則として、後年に発表されたカヴァー曲は省きました(森高千里「17才」ほか一部例外あり)。オリジナル曲が未収録の場合に限り、別のアーティストによるカヴァー作品を発売日の位置に入れている例がいくつかあります。
*安室奈美恵「人魚」(NOKKO)、大槻ケンヂ「お世話になりました」(井上順)、etc…
★加藤ミリヤ「新約ディアロンリーガール feat. ECD」は2018年の曲ですが、特別な成立背景もあって(マーヴィン・ゲイ「セクシャル・ヒーリング」→佐東由梨→ECD→加藤ミリヤ→新約 feat. ECD)、時代に応じてかたちを変えていく筒美京平作品を象徴する曲だと考えて、一番先頭に置きました。
 
 
短期間に膨大な筒美京平の作品を浴びるように体験して気付いた発見や感想はここではあえて省略し、これから聴く人にゆだねたいと思います。代わりに『筒美京平の世界[増補新訂版]』でも執筆者が挙げていた「筒美京平の10曲」を自分でも選んでみました。

アレンジが光る筒美京平の10曲

筒美京平が書いた曲を編曲家がアレンジして、楽曲は最終的な完成に至ります。自ら編曲家としても活動していた70年代以前は勿論、それ以降の作品でも編曲家に曲を渡す際に、ある程度のイメージは伝えていたのではないかと想像します。編曲家のアイデアが加わって更に輝きを増した、アレンジが光る筒美京平の10曲を選びました。
 

★Sweet Pain/MISIA(2000 編曲:松井寛)
──筒美京平が70年代にやりたかったことの完成形のようにも聴こえる。
★強い気持ち・強い愛/小沢健二(1995 編曲:筒美京平・小沢健二)
──「スタンダップ~」が京平サウンドの肝だと思ったので、『刹那』Ver.から。
★と・き・め・き/高橋由美子(1991 編曲:ULTIMAX)
──麻丘めぐみのカヴァー。リズムが、ジャングル直前のブレイクビーツ×エレクトロ。
★スクール・ガール/C-C-B(1985 編曲:船山基紀・C-C-B)
──女性アイドルがそのまま歌っても違和感なし。チョッパーベースもスパイス。
★ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵(1984 編曲:船山基紀)
──たしか船山基紀が個人でフェアライトCMIを買って打ち込みした曲。
★ふりむけば愛/島田歌穂(1982 編曲:松井忠重)
──伊東ゆかり「愛の光」の改題だそう。歌巧~。
★青い地平線/ブレッド&バター(1980 編曲:細野晴臣・田辺信一)
──YMO直前の細野晴臣のベースが全編通して疾走してて爽快。
★ぬくもり/細川たかし(1978 編曲:高田弘)
──演歌歌手からの依頼はポップス調の曲が多い傾向。これも歌巧~。
★夏の感情/南沙織(1974 編曲:筒美京平)
──ファンクとロックの混ざり具合が、こぶしファクトリーっぽい。
★恋の追跡(ラヴ・チェイス)/山本リンダ(1972 編曲:馬飼野康二)
──欧陽菲菲のカヴァー。山本リンダの凄さがわかる。今もクラブで使えそう。

おまけ

◯野口五郎が、歌手としても楽曲としても素晴らしいということが今回の一番の発見。歌が巧すぎて、何曲も何曲も選んでしまいそうで困った。時代に応じて音楽性を少しずつアップデートしていることもよくわかる。「グッド・ラック」「女になって出直せよ」とか、山下達郎と比肩する才能が感じられるし、のちのシティポップにつながる萌芽も見られる。女性シンガーでの発見は、石井明美。

◯中山美穂の楽曲がなくて、代わりに選んだ「WAKU WAKUさせて」「ツイてるねノッてるね」のトランス/ユーロ・カヴァーがどちらも良かった。森高千里「17才」もそうだけど、カヴァー&リアレンジされても曲の良さが全く揺るがない。どころか、時代に応じて輝きを増していくのが不思議。

鈴木翼10周年記念コンサートに行ってきた

鈴木翼10周年記念コンサートに行ってきた

9月23日(月・祝)、有楽町朝日ホールで開かれた、あそびうた作家の鈴木翼10周年記念コンサート「こころがおどる」に行ってきた。この日のために、チラシや、Tシャツなどのグッズ、来場者に配布されるパンフレットのデザインをお手伝いした。10周年の記念Tシャツは大好評で、開場早々にたちまち売り切れてしまった。

鈴木翼(すずきつばさ)と言っても知らない人にとっては知らない名前だろう。NHKの「どーもくん」などの番組で自作のあそびうたを紹介したり、保育士さんや家族向けのライブで日本中を飛び回っている。30代までの子育て中のファミリーにはなじみ深いかもしれない。まだ保育士だった頃、絵本作家・シンガーソングライターの中川ひろたかさんに見出され、あそびうた作家が多数在籍するソングブックカフェの所属アーティストとなってから、あそびうたやオリジナルソング、絵本執筆など、活動の領域(=翼)を大きく広げてきた。今年がそんな彼のデビュー10周年にあたるというわけだ。

コンサートはバンドをバックに代表的なあそびうたと絵本・ミュージックパネルの実演などで構成された前半のソロパートと、これまで活動を共にしてきたアーティストとのコラボを中心とした後半に分かれ、トータルで2時間半以上に及んだ。優しさや誠実さの中に子どものようにピュアな精神も伺えて、笑いあり涙ありと人間味にあふれる内容で、翼くんの10年間の全てを出し切ったコンサートになっていたと思う。

入場時に配られたパンフレットに掲載されている、翼くんの自筆による「鈴木翼セルフライナーノーツ2008-2019」。事務所所属前にリリースされた1stミニアルバム『こころがおどる』(今回のコンサートのタイトルにもなった)から、2019年の最新作までの全52作品について、ひとつひとつに丁寧に心のこもったエピソードと関わった人々への謝辞が述べられている。これを読んだ誰もが、翼くんがこれほどまでに丁寧に作品づくりに取り組んできたことに驚くに違いない。実際ぼくもぎりぎりに届いた原稿を読ませてもらって非常に驚いた。翼くん(の作品)と、いつどのようにして出会ったか、ライナーノーツを読みながら記憶をプレイバックするのも楽しい。

自分でもおぼろげな記憶をたどっていくと、2012年頃、ケロポンズのポンちゃんに誘われて、安曇野の友人家族と一緒に、長野のどこかでソロライブを観たのが最初だったと思う。それまでも中川ひろたかさんの野球チームで出会っていたはずだったが、ソロアーティストとしてはっきりと認識したのはそれが初めて。あそびうただけでなく、育児に日々悩むお母さんや保育士さんに向けて作られた弾き語りのオリジナル曲に心が癒やされ、終演後「ライブすごく良かったね」と言葉を交わしたのだった。

その曲はこの日のコンサートの最後の方でも披露された。実は、翼くんの印象は7~8年前に初めて出会った時とほとんど変わっていない。初々しさと謙虚さをデビュー当時から大切に持ちづづけている。きっと10年後、20年後も翼くんはこのままずっと翼くんであり続けるだろう。


中央の翼くんが手に持っているのがパンフレット


会場スタッフに頼んで撮らせてもらった

>>ちょっとだけ体操 ~Hoick CDブック~|パラグラフ|下山ワタル

K-POP PLAYLIST 2019 SUMMER

K-POP PLAYLIST 2019 SUMMER

4月中旬から突然聴き始めたK-POPから、特に自分の好みに近い曲を集めたSpotifyプレイリストを作りました。


 

K-POPを突然聴くようになった理由

もともとK-POPは自分から能動的に聴いてみようと思って聴き始めたわけではありませんでした。わが家では娘と妻がTWICEが好きでハマっていたけど、音源を横で聴いてもその時はよくわからなかった。ボーイズグループもガールズグループも最初は単なるアイドルの延長としか感じられなかったのでした。

きっかけとなったのは、日本にこのまま閉じ籠もり続けるのはヤバい…「グローバル」な文化をもっと意識しなくては、と考えさせられる出来事があって……それからSpotifyの各国版のチャートを毎日仕事中に聴くようになりました。アルゼンチン、オーストラリア、メキシコ、ペルー、アイスランド、etc……行ったことのない国々でどんな音楽が流行っているか、興味があった。

結果からいうと、極端に言語体系が違う中国語圏やトルコ、アイスランド以外は、どの国も大体同じ曲がヒットしていたんですが(リル・ナズ・X、マルーマ、ビリー・アイリッシュ、etc…)、そんな中でちょっと気になるEDMの曲がベスト50で3~4曲、南米や東欧の国々でランクインしていて、調べたらそれがK-POPだった。しかも日本みたいにローカライズされたヴァージョンではなく、韓国語と英語のミックスの歌詞のまま現地で受け入れられている。

ハロプロ好きの自分の耳にもすぐわかるほど、非常に凝ったアレンジの曲がK-POPにも多いことがわかってきました。グローバルチャートを追うだけでは飽き足らず、アーティスト単位で聴いたり、YouTubeで毎週投票によりK-POPの最新チャートのMVを15秒ずつ流していくカウントダウンTVみたいなプログラム(K-POP SONGS CHART)を見たりして、最新のK-POPに関する情報も少しずつ増えていきました。

K-POPが面白いのは、たとえばEDMなんかはアメリカではポップミュージックの様式としてはほぼ廃れてしまい、ストレートな形ではもう誰もやらなくなっています。K-POPは、そういうほんの少し前の音楽に90年代のR&Bなどの要素を混ぜつつ、最新のスタジオテクノロジーを使って新しいイメージの楽曲に仕上げている。まさにハロプロがそういうコンセプトなのですが、それを精巧かつ高次元に、予算もしっかりかけた上で世界に仕掛け、実際にビジネスとしても成功させている。音楽のジャンルやコミュニティとしてまず目が離せないし、さらにそれぞれのグループがどうとか推しがどうこうなどと言い始めたら、もう無限にキリがなくなる。いまはちょうど沼の淵に立って全体を眺めているところです。

ここからは、プレイリストの中から何組か特にいいと思ったアーティストを紹介します。
 

SEVENTEEN

前半はボーイズグループと男性のヒップホップ系、中盤がシティポップ寄りのメロウな楽曲で、後半はガールズグループ(ハロプロっぽいディスコ~ファンク~ブギー系の曲多め)。大体男女半々になるようにしました。ボーイズグループはまだリサーチが足りないけど、いまのところSEVENTEENに注目しています。80年代のR&Bを現代のヒップホップやEDMとミックスしたようなトラックが好みだし(「Home」とか)、歌もダンスも超人的に上手い。

 

YUKIKA

YUKIKA(寺本來可)は、YouTubeのK-POP SONGS CHARTで知った日本人女性シンガー(日本では長く声優として活動していた)。Night Tempoや「Plastic Love」以降のムーブメントを完全に意識したシティポップ。K-POPといってもEDMばかりではなく、今回中盤に入れたような、おしゃれなジャンルの曲もけっこう多いです。そんな中でも彼女のインパクトは突出しています。MVもサカナクションの女性版みたいな感じ。これは本格的に知られたら相当すごいことになるよ。

 

ITZY

ITZY(イッジ)は、JYPエンターテインメントに所属するTWICEの妹分として、今年の2月にデビューしたばかり。ぼくがK-POPにハマるきっかけとなったグループ。ダンスや歌のスキルは別として、歌詞の世界観はTWICEと180°違っています。K-POPのガールズグループの歌詞の多くはラブソングで、愛する男の存在が前提となっている。曰く、あなたに似合う女の子になる。激しい印象の歌でも、あなたを力ずくで手に入れてみせる、とか。

でも、イッジの歌詞はこれとは真逆で、私は私。外見ばかりで魅力のない他の子とは違う。他人にどう思われようと気にしない。女の子たち、前を向いて。私たちがついてるから。……徹底的に女性が主体で、女性がただ女性であることを称揚しエールを送っている。ある意味、大きく変わりつつある現代のジェンダー観に沿った、力強いメッセージを伝えているわけです。

わかる人はすぐにわかると思いますが、これはハロプロのグループ、たとえばアンジュルムの歌詞だったり、元リーダーの和田彩花が投げかけるメッセージの考え方に非常に近いです。あとハロヲタ的にいうと、リーダーのイェジはダンスメンで、切れ長の目も含めて鞘師里保っぽい。最年少のユナは鈴木愛理に似ている。

 

Red Velvet

Red Velvetは、以前ブログでアンジュルムのメンバーが勧めていたガールズグループ。シングルとかは普通にポップだけど、アルバムでは他とは一線を画すような、作り込まれた曲が多い。今回選んだ「ルック」も、リズムが80年代に一世を風靡したドラムマシンOberheim DMXの音源だったりして、音楽好きの心をくすぐります。

Red Velvetや、BLACKPINKEVERGLOW、あとITZYやTWICEは、グローバルチャートで名前を見かけることの多かったK-POPのガールズグループ。ボーイズだと、BTS、その弟分であるTXT、TWICEと同じJYP所属のStray Kids(オーディション番組の名前がそのままグループ名)とか。……また面白い楽曲を見つけたら追加してみたいと思います。

感想:『クソ野郎と美しき世界』を観てきた

感想:『クソ野郎と美しき世界』を観てきた


image by kinofilms.

『クソ野郎と美しき世界』は、新しい地図(稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾)の第一回製作作品として発足当初からアナウンスされていた映画だった。しかし上映期間が2週間と短い中、自分の観測範囲でひそかに参考にしている映画好きの人々も観ていないようで、良い反応も良くない反応も目にする機会がないまま、三人のTwitterによるともうそろそろ終わりか? 地上波ではまず見られないだろうと考えると、いましかない!……とりあえず劇場へ、と思いスケジュールを調べると、渋谷~新宿など主要地区の多くが満席だった中、夕方終了のちょうどいい時間の空席有りの回をTOHOシネマズ日本橋で見つけ、仕事を片付けてギリギリなんとか間に合うことができた。キリのいい翌日金曜日までかと思ったら、なんとその日が最終日だったという…。
 

感想を始める前にひとつだけ……鑑賞終了直後の感想ツイートに、ファンの方から多くのRTやいいねを頂いた。映画関係者でもマニアでもなく、特別大したことが言えてるわけでもない、一般の人の素朴な評価にそのような反応を頂けた理由について、浮かれるでもなくただ冷静に考えてみると、まさにその「一般の人の素朴な評価」こそ、ファンの人々が真に求めていたものだったのではないか、と。マスコミ向け試写会も無し、期間限定上映、と明確にコアなファンを想定したプロモーション展開のおかげで、ファン以外の普通の観客の声がなかなか伝わりにくい状況にあったのは事実だと思う。
 


 
では一般の人の自分はこの映画を観てどう感じたか。結論から先に言うと、『クソ野郎と美しき世界』は彼らの熱烈なファンが満足して終わりの閉じられた作品では決してなかったし、長い間エンターテインメントの第一線で活躍してきた彼らにふさわしい、しかも非常に新しい形の娯楽映画になっていた、と観終わって数日経ったいまも強く実感している。

 

「ピアニストを撃つな!」と、B級映画の記憶

月に何本も新作を観に行くわけでもないごく普通の映画好きだけど、父方の祖父が映画の看板屋を営んでいた関係で、幼い頃から東宝・東映系の邦画の新作(怪獣モノに始まって、大人が観るような娯楽映画や角川映画など)を里帰りのたびにタダで観ることができた。そこから遡って60~70年代の日本映画にも少し触れたりして、邦画への愛情や記憶が身体の奥に染み付いているようなところはあるかもしれない。
 
昔の日本映画は、いい意味でのB級テイストが漂っていたり、アイドル映画がその後第一線で活躍する監督の実験場になっていたりと、とても自由だった。園子温監督のEp1「ピアニストを撃つな!」には、古き良き時代の活劇(アクション)映画のB級感覚やバッドテイストがぎっしり詰まっていて、冒頭数分からいきなり持って行かれた。園作品のトレードマークである「疾走」も健在だった。
 
馬場ふみか、スプツニ子などのキャスティングも絶妙で(とくに馬場ふみかはこれで完全に化けた)、実在の彼女たちじゃなく、ちゃんと物語の中の奇妙な人物としてそこにいる。浅野忠信や満島真之介の起用も含め、ありがちなキャスティングに囚われない新鮮さがあって、その中で吾郎ちゃんも安心してキレイ(でマッド)な貴公子になりきっていたと思う。
 
それと全編通して感じたのが、セリフが音響的にとてもクリア。音楽と会話にもメリハリがあって、そのぶん人と人との関わりがより強くこちらに迫ってくるように感じられた。
 

「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」と、非現実のような現実

「新しい詩」を除く3作では、このEp2「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」が最も好みだった。現実と非現実がごちゃまぜになった少し不思議なファンタジー。香取慎吾の役どころも本人(慎吾ちゃん)。ここでもモデル出身の新人・中島セナ(撮影当時11歳)ツイートより)の起用がこれ以上ないくらいハマっていた。この年齢差のコラボから、随分昔の「沙粧妙子−最後の事件−」での、ブレイク直前の広末涼子と慎吾くんの共演を思い出したり(曖昧な記憶…)。尾乃崎紀世彦のカタストロフの描写、慎吾くんの元おっかけだった刑事とか、ユーモアと恐怖が常に隣り合わせの面白さに引き込まれた。
 

 
3作の中では、ここまでのSMAPをめぐる騒動を最も直接的に扱っている物語だと思う。「歌喰い」という設定自体、もう彼らをずっと苦しめていた状況そのものだし。きっとぼくが気づかないだけで、沢山の隠されたメッセージをそこに読み取ることが可能なんだと思う。でもその種の謎解きはあったとしても、物語の前面に出てきて普通の観客を置いてけぼりにするようなものでは決してなかったはず。あの悲惨だった状況をこうしてフィクションや謎解きのようなネタとして扱えること自体、彼らの意識が既にミライへススんでいることの現れに違いない。
 

「光へ、航る」と、希望の光

実は最初、このEp3「光へ、航る」が始まってしばらくは不快な気持ちが続いていた 🙂 暴力描写がどうしても苦手で…。しかしその第一印象に反して、草彅くんのちょっとした表情とか、東北の田園地帯とアメ車のミスマッチ、尾野真千子扮する妻と草彅くんの夫婦の掛け合いのバカっぽさとか、何でもない場面が無意識のうちに、心の内側に次々と積み重なっていくのを感じていた。
 

そして、積み重なった自分でも何だかわからない心の堆積物が、最後の方のある場面で一気にどしゃーーっと音を立てて崩れ落ちる。別のツイートでも示したように、この場面は個人的なエピソードと強く結びついていた。ぼくが将来この世でやり残してしまうかもしれない無念な思いも、いつか自分の娘がきっとあんなふうにぼくのいない未来の世界へと繋いでくれるのだ、という希望と安心感を(剛速球で)受け取って、胸の奥が詰まりそうになってしまった。
 

この希望や安心感は、おそらく自分のように特別なエピソードを持たない人のところにも、草彅くんの渾身の演技と、太田光監督の才能あふれる画作りとストーリーテリングの力によって、同じように届いたのではないかと信じている。
 

新しい詩」と、新しい映画の形

この映画の感想を記すにあたり、TBSラジオのムービーウォッチメンの宇多丸さんの録音を聞いてみた。辛口と言いながら、すごく細かいところまで丁寧に掬ってくれているなあという印象を持ちつつ、その中で宇多丸さんが《映画として》というワードを連発しているのが気になった。(『ペンタゴン・ペーパーズ』と同じ土俵で勝負するような)映画作品としてはまだまだ不足が感じられる、というニュアンスだったと解釈している。けど、誤解を恐れずに言うと、『クソ野郎と美しき世界』は、一見映画の形をしているけれども、従来の映画とは少し違った場所にいる作品だというのが、ぼくの認識だった。
 

『クソ野郎と美しき世界』には、映画や、地上波ドラマ、CM、ミュージックビデオといった別々の表現の要素が、渾然一体となって接ぎ木されている。それらの表現は全て、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の三人がこれまで「演じる主体」として取り組んできた対象だった。それらを分け隔てたり、映画のフォーマットに行儀よく押し込めたりするのではなく、ひとつの作品という箱の中にごちゃまぜに放り込んだところが、この映画の「映画として」の枠に収まらない、既存の言葉では形容できない新しさであり面白さなのではないか、と。本当にこの映画を表す専用の言葉がほしい。心からそう思った。
 
先ほど「接ぎ木」という言葉を使ったが、それらの表現が最終的に接ぎ木される「元」でありゴールが、Ep4「新しい詩」で示されたように「音楽」「歌」「ショー」であったということが、今後の彼らにとってもきっと大きな意味を持つようになるだろうと思います。
 

 
新しい地図の三人のそれぞれの活躍と、彼らを支えるチームが起死回生の場所から仕掛けたプロモーションやブランディング戦略に、勇気とヒントをもらって、自分の絵を使ったとても小さなプロジェクトを始めようと思っているところです。でも、おそらくそこで絶対に真似できないと思うのは、彼らを支える熱心な沢山のファンの応援の力。それを思わぬ形で目の当たりにしなかったなら、GW進行の最中にこのような長い感想は書けなかったと思います。……ということで、また逢う日まで、逢える時まで。