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知ったのはtengal6への曲提供や、去年ネットで見たインタビューがきっかけだったので、まだにわかである。

ヒップホップやR&Bをよく咀嚼しているのが素人の耳にも明らかに感じられる。海外の具体的な誰かというより、漠然と90年代中盤以降のR&Bっぽい匂いが感じられ、その時期のR&Bを大まかに代表して「宇多田ヒカル」っぽいという形容でくくってみたりもした。とりわけG.RINAのような女声ヴォーカルの起用と、全体に漂う悲哀のトーンなど。「水星」はKOJI1200「ブロウヤマインド」からループを引用しているそうで、特定のR&BではなくJ-POPを一旦通過したR&Bという印象も、あながち間違いではないのかもしれない。

「水星」などSoundcloudで聴ける代表曲は既に耳にしていたが、今度CD(『lost decade』)が出るにあたって、全曲ストリーミングで試聴し、Bandcampで発表された作品も遡って聴いてみた。

タグにいつも「神戸市」と付けられていたり、自らをDJ NEWTOWNと名乗るように、神戸市郊外の環境が、彼の音楽家・生活者としての原風景になっているのだろう。そこをホンマタカシや宮沢章夫と絡めて読み解くような批評が出てくるに違いない(磯部涼氏の批評は一読に値する)。

物哀しさ漂うメロディー、深夜から日の出にかけての未明の暗さとそこにしかない喜び――いまのところ、彼の楽曲を聴いて心に浮かんでくるキーワードである。まだストリーミング試聴の時点にして、アルバムがぼくの生活に欠かせないサウンドトラックになりつつあるのを感じている。
 

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https://www.tofubeats.com/

四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 ― 第97回
ロングインタビュー
https://ascii.jp/elem/000/000/702/702058/

なんでアイドル好きなの? – tofubeats – ザ・インタビューズ
http://theinterviews.jp/tofubeats/41838

ZOKKON -candy floss pop suite- 第12回 | タワレコオンライン
インタビュー
https://tower.jp/article/series/2012/08/22/b549/b549_01

tofubeats – 水星(磯部涼) | ele-king
https://www.ele-king.net/review/album/002660/

南波一海 presents ヒロインたちのうた。 第11回 | CDジャーナル
http://www.cdjournal.com/main/special/song_of_the_heroines/645/11

やきそば牛丼(並)

やきそば牛丼(並)

きのうの昼、歩いて15分ほどの隣町のすき家へわざわざ食べに行った。

牛丼の上に屋台で食べるようなソース焼きそばが乗っていて、上から小皿に入った秘伝のソース(やや濃い目&甘口のウスターソース)をかけて食べる。このソースが焼きそばの下の牛丼の層まで染みて、牛丼のタレの役目も果たしている。

牛丼をソースで食べるという体験が新鮮だった。牛丼+ソースのマッチングが意外とくせになる。特にご飯に染みたところの味がなかなか美味。牛丼部分に普通の牛丼のタレがかかっていないので、純粋にソースの味がする。つゆだくでご飯がベタベタになったり油っこく感じることもない。焼きそばと牛丼を混ぜるのは好きずきで。ぼくは混ぜずにそのまま上から順番に食べた。

最近食べたこの種の食べ物では、吉野家の焼鳥つくね丼(さゆ丼)よりずっと美味しく感じられた。低価格というポイントしか売りにできない(=牛丼)昨今の吉野家は、いよいよ本格的にヤバイのではないか。

……などと、知った風に語っているものの、一年を通して牛丼屋に足を運ぶことなど多くても片手で十分足りる程度なのであるが。

 
参考)仙石みなみ 焼きそば牛丼を食べる!
http://www.youtube.com/watch?v=4tlSvdI0lQw

クラフトワーク3-D東京公演の曲目を予想してみた

クラフトワーク3-D東京公演の曲目を予想してみた

[2013/5/21追記]クラフトワーク来日公演についての記事を投稿しました。
>>クラフトワーク3-D東京公演を観てきた|パラグラフ
――東京・大阪公演のセットリストについて記事末尾に追記しました(2013/5/8〜18更新)
 

クラフトワークが『アウトバーン』から『ツール・ド・フランス』までの8枚のアルバムを、3D映像をバックに8日間に渡って再現する 3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8 。2012年のニューヨークMoMA、2013年に入ってからのデュッセルドルフK20ロンドンTate Modernに続いて、ついに日本でも開催されることになりました。会場は、過去3公演とは違って美術館ではなく赤坂BLITZ、とのことで美術館好きとしては少々残念でしたが。参考までに、ネットで拾った各会場のキャパシティ(人)とチケット料金(+執筆時点の円換算)……MoMA=400/$25(¥2318)、K20=700?/€55(¥6798)、Tate=1000/£60(¥8610)、赤坂BLITZ=1400/¥9500。だんだん上がってます……。ちなみにMoMAではキャパが小さすぎたため、チケット購入の上限が全日程の中から一人2枚まで、という非情な枚数制限が設けられ、それに対して総統がお怒りになられた映像が作られたほどでした(→Hitler reacts to Kraftwerk MoMa ticket limit…笑)。

 

初来日の1981年と、2002年のElectragride以外、来日公演は欠かさず観てきたこともあり、今回も本当は全部観に行く!と力強く言いたいところですが、残念ながら予算的にも時間的にも難しいので、過去3回の美術館公演のセットリストを調べ、自分なりに見どころを検討してみました。

今回のツアーの構成から考えて、レパートリーやセットリストを開催国によって大きく変えることはないだろうと予測し、美術館LIVEの直近2公演のうち、(ロンドンはこれを書いている時点で進行中のため)デュッセルドルフK20のセットリストを参考にしました。なおタイトルは、ドイツ語ヴァージョンのものを英語に置き換えています。2月中旬時点での予想のため実際の演目とは異なること、事前のどんな情報よりも公演当日の体験の方がきっと価値が大きいであろうことをあらかじめお断りしておきます(今回は3Dだけに)。これ以降の推測は全て、下記のセットリストが東京公演の演目と同じ、もしくは近いという想定を元に進めます。
 

基本構成は「アルバム曲+定番の曲」

8日間とも基本的に冒頭が各日のアルバムからの曲で、後半が全作品からセレクトされたここ数年のLIVEでの定番の曲、という構成のようです(The Mixだけこの法則から外れます。後述)。後半「Autobahn」から始まって「Musique Non-Stop」で終わる曲順は毎日ほぼ同じで、前半のアルバムパートで演奏した曲がそこから省かれる、というパターンです。たぶん終盤の『Techno Pop』からの3曲は、昨年のNO NUKES 2012と同じくアンコールで、「Musique Non-Stop」で一人ずつ担当パートの音を止めてステージからはけていく様子が目に浮かびます。

アルバムの曲だけを演奏して終わり、ということはなく、どの日に行ってもクラフトワークの定番の曲は楽しめそうなので、無理して全公演を観に行く必要はないと思います。自分が好きな/思い入れのあるアルバムの日に行ければいいかな、というのがいまのところの見解です。
 

気になる公演、その他の見どころなど

定番のレパートリー以外のアルバム収録曲は、今回を逃すともう生で見る機会は二度となさそうで、となると 1:Autobahn2:Radio-Activity の初期作の再現がどんな感じか気になります。定番曲とのカブりが少なく、曲数も多くてほとんどアルバムの曲順通りに演奏される 2:Radio-Activity8:Tour de France は、アルバムパートの時間が長くてお得だと思います。

上記以外で、後半で長く演奏される曲とのカブりが多い日は、よほどの思い入れと余裕がなければ外してもいいかな、と個人的には思ってます。特に 6:Techno Pop の日は、前半で「Boing〜」から「Music〜」の流れを先にやってしまうため、最後に例の一人ずつ退出して行く終わり方が見られず、このままだとやや物足りないのではという気がしました。

それと 7:The Mix は、クラフトワークのレパートリーのほとんどが既にThe Mix化していることもあり、アルバム曲との違いがあまり明確でなく、8公演の中では少し微妙かなと思いました。大阪の1日公演はもしかしたらThe Mixの日の内容を軸に行われるのでは、と密かに予想してます(美術館LIVE以外の3D単独公演も各国で行われているので、おそらくそちらのセットリストに近いのかも)。

曲単位でいえば、日本語詞で来日公演では必ず盛り上がる「Dentaku」も見逃せません。デュッセルドルフ公演の場合は、5:Computer World7:The Mix のいずれか。でもその他の日でも、過去の来日のようにダブルアンコールでやってくれそうな期待も。ちなみにNO NUKES 2012で披露された「Radioactivity」日本語ヴァージョン(フクシマ、放射能〜)は、今年のデュッセルドルフ、ロンドンでも演奏されています。昨年よりも多くの人々が、あの消え入りたくなるような「屈辱」を今度は3D映像付きで体験することになるでしょう。
 

結局行くことにしたのは……

結局いろいろ検討した結果、5:Computer World8:Tour de France の2日分を申込みました。もしも余裕があれば 2:Radio-Activity も行ってみたいところですが、さてどうでしょう。

5にした理由は、『Computer World』がクラフトワークで一番好きなアルバムだから(「Numbers」からの流れなど、全体にこれまでLIVEで演奏された機会が多いアルバムでもあります)。あとは「Dentaku」が確実に聞けそうなのと、デュッセルドルフの演目には「Neon Lights」が含まれていて、行けなかった1981年の中野サンプラザ公演(『The Man Machine』〜『Computer World』リリース後のツアー)を思わせる内容になりそうなこと。

8は、やはりアルバム曲を頭からフルで長く聞けることが一番の理由(『Computer World』と一、二を争う好きなアルバム)。ツール・ド・フランスだけに3D映像にも動きやスピード感がありそうだし、最終日だから何か特別なアンコールをやってくれるかも、という期待を込めて。
 
余談ですが、Tate Modern公演はLIVE中の写真撮影が自由で、クラフトワークのTwitterアカウントでも連日ハッシュタグを使った写真の投稿を呼びかけているようです。日本ではどうなんでしょうね。
(2013/5/10追記:東京3日目からラルフの意向で、携帯・スマートフォンでの撮影OKになりました)
 

>>ウドー音楽事務所:クラフトワーク公演詳細(リンク切れ)
 

 
(以下は、2013年1月のデュッセルドルフ公演のセットリストです) 

(さらに…)

展覧会日和[2011・3月11日〜4月]

展覧会日和[2011・3月11日〜4月]

>>展覧会日和[2011・1〜3月10日]からの続きです。

3月11日
妻が打ち合わせのため午後から吉祥寺へ、娘はきょうは保育園の日。ぼくも午後から出勤する予定だったが、思うところがあって結局家にとどまることにした。ごはんを食べてから仕事部屋のMacの前に座り、さて仕事を始めようと思ったところで突然大きな揺れを感じた。すぐに収まるだろうとの予想に反して、揺れは長く続き、そのうち部屋全体が大きくグラインドし始めた。仕事机を囲む大きな資料棚がいまにも倒れそうに揺れ、上に積んであった荷物が次々と落下した。棚自体が倒れてしまわないように、両手を広げて支えるのがやっとだった。

部屋を出てリビングに行くと、天井までの高さのCDラックが斜めに倒れ、大量のCDが床に散乱していた。テレビではニュースキャスターが、宮城県沖で巨大な地震が起こったことと、大きな津波の危険を伝えている。Twitterから流れてきた「阪神大震災の経験から、お風呂にすぐに水を貯めるべき」という情報に従い、風呂に行って蛇口をひねるが水はいっこうに出てこない。CDラックが倒れた様子などをTwitterで第一報として伝えると、妻からリプライが来て無事が確認できた。試しに携帯にかけてみるが、アナウンスばかりで全くつながらない。Twitterだけが重要なライフラインだった。

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屋外の様子を見ようとドアを開けて外に出てみた。エレベーターは「地震」という表示が出たまま止まっている。感じたことのない恐怖と興奮で手が震え、次に何をしたらいいかわからなくなっていた。とにかく保育園にいる娘の様子が気がかりで、意を決して自転車で様子を見に行くことにした(この時点でぼくが事務所ではなく家にいたことはラッキーだった)。自転車から見る街の風景はいつもとさほど変わらず、ペダルを漕ぎながら少し気持ちが落ち着いてきた。保育園に到着すると、娘やほかの子どもたちは無事でひとまず安心した。先生と話して、いまは保育園の方が安全だと判断し、そのままお迎えの時間まで預かってもらうことにした。自宅に戻って散乱したCDを急いで片付け、妻からのダイレクトメッセージに従って、ティッシュやおむつなどの必需品と当面の食料を買いに出かけた。まだこの時点までは買い占めもなく、スーパーの在庫にもかなりの余裕があった。

東京では全ての電車が運休し、妻もしばらく帰れそうにないとのことだった。震災のニュースしか流れないテレビを見ながら、近所で買ったお弁当を保育園から帰った娘と一緒に食べた。福島第一原発の電源が失われ、周辺の住民が避難や自宅待機を命じられたというニュースも心配だった。打ち合わせで一緒だった友人のポンちゃんが妻を車で送ってくれることになり、一日も終わりにさしかかった頃ようやく家族三人が家に揃った。

3月12日
朝のニュースで繰り返し流される津波の映像を見て、改めて言葉を失う。娘をひざの上でだっこしながら、友だちがくれた新刊の絵本を読んであげたら「もーいっかい」「もーいっかい!」と止まらなくなり、計14回連続で繰り返し読まされた。2歳児なりにこの状況への恐怖を感じ取っているようにもみえた。

刻々と変わる震災の状況を主にTwitterでずっと追っていた。福島原発1号機の水素爆発のニュースもマスメディアより先にTwitterで知った。マスメディアに先行した速報、有用な知識、被災地の安否情報や救出を求める声、デマに近い情報などが玉石混交、渾然一体となって次々と流れてくる。関東全域に死の灰が降りてくる、という不安を煽るだけのリツイートが次々と西日本の友人から流れてきて思わず憤った。しかしよくよく話を聞いてみると安全な場所にいるはずの彼らもまた、被災地や関東の人々と同様に不安に怯えていたのだった。

原発事故による電力不足で輪番停電が実施されるという談話が発表された(実際に計画停電が実施されたのは14日月曜から)。これに先立って節電を呼びかける動きがTwitter上で自発的に発生し、『新世紀エヴァンゲリオン』の全国から電力を集めて使徒を倒す作戦になぞらえて「ヤシマ作戦」と呼ばれた。東電の数々の失態を知った後では何とも言えない気持ちが残るが、不安が世界を覆う中、みんなが協力して一つの作戦に向かうことにより気持ちがずいぶん楽になった。まだ冬に近いこの時期に暖房などを消して夜間の2時間を過ごすのは少し堪えたが、全くしのげないほどでもなかった。同時に、電力が全く途絶えた東北の避難生活の厳しさに思いを馳せた。

3月19日
震災から一週間が経った。計画停電に翻弄されて、この一週間は都心には一度も出られなかった。ギャラリーの多くが休業もしくは大幅に営業時間を短縮していて、展覧会どころでもなさそうだった。

関東圏を中心に計画停電で電車が止まり、商店街からは買い占めにより水や生活用品が消え失せた。Twitterにはデマ情報を含む様々なリツイートが相変わらず怒濤のように押し寄せている。放射線については安全という見方があれば危険という見方もあり、議論の一方で脅しにも似たRTを連発する人々も多かった。「不安」というものが人々を心の底から震え上がらせて、買い占めや流言飛語のような、不必要な行動へと駆り立てていることが理解できた。しかしその一方で不安があるからこそ、人は互いに勇気付けあい、身を寄せ合いながら生きていくことができる。人間という生き物の根底にある不安という感情について、もっと深く考えてみたいと思った。

春休みで児童サークルや児童館のイベントも休みに入り、放射能が関東一帯にいまも降り続けているという情報が流れる中、娘を外で自由に遊ばせることもできず、家族三人で晴天の窓の向こうを見つつ室内に閉じこもる日々が続いた。サークル仲間のママ友さんの多くが、子どもを連れて西日本にある実家に避難したという話を聞き、妻も不安で気が気ではなさそうだった。このままでは母娘とも放射能云々よりも先にストレスで参ってしまう。ぼく自身は様々な情報を吟味して、東京では地震はまだしも、放射能に関しては避難の必要がないだろうと構えていたが、安穏としていられないムードが家にも社会にも満ちていたのも確かだった。

東京を出よう、いややめよう、という何度かのやりとりがあって数日後、朝方、空が朝焼けで真っ二つに割れているのを見て胸騒ぎを感じ、突発的にその日の昼に家族で東京を離れ、広島にあるポンちゃんの実家にしばらく泊めてもらうことにした。空の異変はある種のエクスキューズだったが、ともあれ自分としては思い切った決断だったと思う。

3月×日
広島ではポンちゃんと実家の両親のご厚意により、山あいののんびりした環境の中で震災以来久々にゆっくり過ごすことができた。ポンちゃんの双子の娘が熱心に遊んでくれて、娘とママの顔にも優しい表情が戻ったようだった。自宅から無線LAN環境とMacBook Proを持っていったのでぼくも簡単な仕事ができたし、これがその後行われるケロポンズのチャリティーライブのUst中継にも役立つことになった。

滞在中、展覧会ではないけど、ポンちゃんの薦めもあって、広島市内に原爆ドーム平和祈念資料館を見に行くことにした。妻は修学旅行で一度訪れたそうだが、ぼくは初めてだった。広島の街は路面電車が行き交う中で人々がのんびりと往来していて、「震災前の世界」を久々に見た思いがした。原爆ドームは壊れる寸前の外観で、痛ましい原爆投下の痕跡と記憶を一身に支えていた。平和祈念資料館には、原爆がもたらした物的な被害のほかに、放射線による後遺症についても生々しい描写とともに紹介されていた。こんな悲しい出来事を経てなお、原子力の平和利用だかグローバリゼーションだか知らないが、再び悪魔の道に向かって後戻りが効かなくなるまで突っ走った自分たち日本人を、心の底から愚かだと思った。広島に何度でも学べばいい。これらの展示を日本人はいまこそ見るべきだ。いつか本当に後戻りができなくなってしまわないためにも……。同様の趣旨だったに違いない目黒区美術館の展示「原爆を視る1945-1970」が、震災の影響を受けて急遽中止になってしまったことが返す返すも残念でならない。

 
4月×日
結局、広島には10日ほどお世話になり、月末には東京に戻ってきた。首都圏の駅の構内や地下街は蛍光灯が消えてヨーロッパのように薄暗かったが、それもまた悪いものではなかった。広島から花粉症がずっとひどかったので、行きつけの原宿の耳鼻科に行って薬をもらった帰り、原宿のTOKYO CULTUART by BEAMSで3月に開催していた「愛おしいゴミ展」が引き続き延長されているのを知り、中に入ってみた。ミュージシャンやクリエイター、文化人が集めている、本人以外にはゴミにしか見えないモノのオンパレードだが、巷で流行っている断捨離とは真逆の発想が面白く、大好きなVOWに似たところもあって殺伐としていた心が少し和んだ。

4月×日
渋谷パルコファクトリーの川島小鳥写真展「未来ちゃん」へ。平日にもかかわらずずいぶん賑わっていた。未来ちゃんの可愛さがまず目を引くが、写真としても非常に優れていると感じた。それ以前に子どもを被写体にすることの困難さは、我が娘のポートレート撮影で嫌というほど思い知らされている。大人しくしているような子じゃなさそうなのに、よくこれだけのカットを引き出せたと、それだけでも感心するというのに。

4月×日

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初台の東京オペラシティアートギャラリーで、前から楽しみだったホンマタカシ「ニュー・ドキュメンタリー」を観た。作品を順番にじっくりと見ていく中で「下向きの視線」というキーワードがなぜか頭に浮かんだ。最初は「Tokyo and My Daughter」のシリーズを見て思ったのだが、子どもを捉えた写真ということで必然的に目線が大人より下向きに、ちょっと俯瞰する形になる(ちなみにこのシリーズに出てくる「My Daughter」はホンマタカシの実の娘ではない。中にはホンマタカシではなく娘の本当の家族が撮影した写真も含まれているという)。都市や郊外の風景をフラットに、もしくは見上げるような視点で撮り続けてきたこれまでの作品から考えると、このシリーズにしても、野生動物の通り道を撮影する「Together」も北海道の鹿狩りの血の跡を追う「Trails」も一様に下向きの視線で、興味の方向が変わってきているのか、もしくは社会的な趨勢が彼の写真の中に反映しているのか、そんなことを考えさせられた。震災を経て表現においては小手先が通用しなくなるというか、性質上現実と向き合わざるを得ない写真という手段は、より一層「ベタ」(直接的)であることを要求されるのではないだろうか。ホンマタカシの震災以後の作品にも早く触れてみたい。

会場の出口で「Satellite9」というホンマタカシ関連展のスタンプラリーの用紙を発見。できれば全部回ってみたい。外に出たところにあるナディッフでニュー・ドキュメンタリーのTシャツを買った。

4月×日
震災のことなど忘れてしまいそうなおだやかな春の一日。前から開かれると聞いていた北村範史さんの個展「球根とサコッシュ」を観に、神楽坂のフラスコというギャラリーへ。毎年のライフワークになっている球根の絵と、アメリカの古い銀行の金貨袋に手を加えて作られた手作りのサコッシュ。震災以降の不安と隣り合わせの毎日において大切な事は、できるだけ平常心を保ち続けていくことだと思う。そのためのヒントがこの展示にはあったような気がする。サコッシュを一つと、娘用の新しいTシャツを一枚購入。

 
――2010秋以降の展覧会ツイートを、こちらのハッシュタグ #gbiyori に残しています。

2022年以降はこちらへ。→ #gbiyori@cinnamo_info

レイ・ハラカミさんの思い出

レイ・ハラカミさんの思い出

──yanokami名阪公演のチラシをデザインした(2008)。アートワークは浜田武士+坂本奈緒さん。
 

レイ・ハラカミの音を初めて聴いたのは、毎号買っていたクラブミュージック系の雑誌「GROOVE」の付録CDに収録されていた曲だった(「Device Versa」だと思うけど記憶違いかも…。ソニーから出ていた『Pacific State』というコンピレーションにも収録されていた)。それと前後して彼の所属するSUBLIME RECORDSのコンピレーション『Sublime – The Adolescence』に入っていた「Rho^2」という曲を聴いて衝撃を受けた。当時(1998年)すでに「Rei Harakami ep」というアナログシングルでデビューしていたが、CDプレイヤーしか持っていなかったので、ファーストアルバム(『UNREST』)を待つ間は上記の2曲を繰り返し聴くしかなかった。「教授(坂本龍一)の再来だ」と色めき、そんな感想をSUBLIME RECORDSのBBS(懐かしい)に投稿した記憶がある。そんなわけで、数年後矢野顕子さんとユニットを組むことになるのも、自分の中ではごく自然な成り行きのように感じられた(勿論この頃は想像もできなかったけど)。

アルバムで好きなのは『UNREST』『lust』。『UNREST』は、アヴァンギャルドな感性とクラブシーンや商業音楽との折り合いの付け方が丁度良く、大げさだが坂本龍一『B-2 UNIT』の代替物として何度も聴いた。『lust』は、『red curb』で明確に打ち出した前衛性とポップな要素+叙情性が絶妙に同居する文句無しの最高傑作だった。「owari no kisetsu」のヴォーカルを聴いてやはり教授だな、と。確か『lust』の頃から京都だけでなく東京など各地でもライブを行うようになり、いくつかのイベントやロックフェスにまで足を運んだ。レイ・ハラカミの音色が生で聴ける喜びもさることながら、あのタオルで汗を拭きながらマイク片手に行う、その美しい音楽を180度裏切るMCにも度肝を抜かれた……というか爆笑した。

矢野顕子さんの仕事の関連で一度だけ軽くご挨拶した記憶もあるけれど、ほとんど面識はないに等しく、ただ一介のファンにすぎなかった。デビューからファンとして注目し続けていた彼が、ツアーパンフの仕事で関わっていた矢野さんと、yanokamiとして一緒にユニットを組むことになったのは心から嬉しい出来事だった。その誕生の助走となったさとがえるコンサートの公演も、幸いにも会場で直接体験することができた。

レイ・ハラカミ急逝、というニュースを正直いまだに受け止めることができない自分がいる。いまも例の調子で「絶賛盛り下げ中です!」とかハンドマイク片手に観客を笑わせている姿が瞼の裏に浮かんでくる。本当に笑えないくらい「絶賛盛り下げ中」ですよ、ハラカミさん……。3月のあの日以来立て続けに起こる大惨事や訃報の数々に紛れて、このままなかったことにして忘れてしまおうかとも一瞬考えたけど、それも虚しいし悔しいので、記憶が薄れてゆくことへの精一杯の抵抗として、個人的な(レッドカーブの)思い出を記しておこうと思う。旧ブログに書いた、yanokamiの助走にあたる2回のさとがえるコンサート公演とrei harakamiワンマンライブの感想も、記録としてここに残しておく。「さようなら」はもう少し先までとっておきたい。
 
 

MEMO
>>http://www.rei-harakami.com/
>>http://www.yanokami.com/

>>ライジングサンだったわけで。|rei harakami blog
──集合写真1枚目前列中央やや右寄りにぼくが写っている(ウォーリーを探せ)。


 
>>Album Review – Rei Harakami|Red Curb(野田 努/ele-king)
──素晴らしい追悼記事。こんなふうに綺麗にお別れが言えたら。

>>yanokami新曲「Bamboo Music」配信リリース(ナタリー)
──シルヴィアンが矢野さんで、教授がレイ・ハラカミ? まさかのセカンドアルバムも出るかもしれない(追記:出ました)。
 
 
2003.12
さとがえるコンサート2003@NHKホール

矢野顕子さんの年末恒例のさとがえるコンサートは毎年観に行っている。さとがえるコンサートのツアーパンフのデザインと編集を担当するようになって、今年でもう6年目になるのだった。自分のイラストが最初に本に載って世に出たのも、実は初めて仕事を引き受けた「さとがえる」1998年のパンフだったりする(おそれ多くもイラストレーターの上田三根子さんとこっそり共演)。もちろんそんな仕事上のかかわりを抜きにしても、さとがえるコンサートの存在はそれだけで素晴らしい。90年代後半以降、音楽をめぐる状況がだんだん厳しくなっている中、主要都市をちゃんと回るツアーを一年も休まずに続けているのは奇跡的としか言いようがない。それを実現している矢野さんとスタッフの強い意志には、ほんとに頭が下がる思いがする。

さて、今年のライブ。96年から去年までずっと一緒だった、アンソニー・ジャクソン(ベース)、クリフ・アーモンド(ドラムス)の二人とは一旦別れて、さとがえる初の全編弾き語りソロ形式のコンサートとなった。演奏曲目も各会場でかなり変えているみたいで、東京の初日は、細野晴臣「恋は桃色」がオープニング。最近の矢野さんの主流となっているピアノによるカバー・スタイルの曲が次々続く。SMAP「しようよ」、THE BOOMとの共作だった「それだけでうれしい」、大貫妙子「横顔」、くるり「春風」などなど。ここまでだけでも十分満足だったけど、やはり矢野顕子はここまででは終わらなかった。

気持ちがすっかり和んできた中盤、小さなシェーカーを持ってスタンドマイクの前に立った矢野さんは、UAのシングル「閃光」のコラボレーションでも知られる、レイ・ハラカミ(デビュー時から大好きでずっと聴いている)のバックトラックに合わせて、細野晴臣「終りの季節」と自身の曲「David」を歌い始めた。レイ・ハラカミとは、2002年のくるり主催のイベント「百鬼夜行」で一度共演している。彼の作る浮遊感のあるトラックには時折、往年の坂本龍一の気配を感じることがある。まどろみの霧が一瞬で消え去り、背筋にひんやりとした緊張が走った。矢野さんがすごいのは、こうやって自分の築いてきたものを平気で壊して再構築できるところ。未知の領域に果敢に飛び込み、一瞬であたりの空気をクールに切り裂いてしまう。この瞬間を味わいたくて、いつも矢野さんのコンサートに行く。そしてできれば自分の表現もそのような領域に少しでも近づきたいと、ひそかに願う……。

この2曲から再びピアノに戻って新曲の「Night Train Home」へとつながるシークエンスが、この日のベストだった。アンコールで登場した小田和正との、オフコース「言葉にできない」とTHE BOOM「中央線」のデュエットも、本当にうれしい“突然の贈りもの”だった。

 
2005.7
rei harakami@LIQUIDROOM ebisu

7月9日(土)、雨が降りしきる中、リキッドルーム恵比寿のrei harakamiライブへ。天候にもかかわらず当日券は完売、前も後ろも動きが取れないほどの超満員。オープニングの「終りの季節」(インスト+映像のみ)に続いてハラカミ氏が登場。2004年の渋谷O-Eastでの第一興商主催のイベント(いま思えば矢野顕子つながりのテイ・トウワの直前に出演)で、初めて生で彼のライブを見て、自らマイクを握る「絶賛盛り下げ中です!」みたいなハラカミ節炸裂のMCにも衝撃を受けた。イベントでは長く演奏して4~5曲がせいぜいだから、今回のようにたくさんの曲をまとめて聴けるのはめったになくとても喜ばしいことだった。そんな晴れの舞台でも例のMCは変わらず(笑)。

曲は、最新作の『lust』以外では『opa*q』『red curb』からがほとんど。記憶が正しければ1st『UNREST』の曲はなかった気がする。クラブ・ミュージックとして機能させることを放棄してやりたいことだけを追求した『red curb』が、多くのミュージシャンに支持され、のちに彼の代表作になったことを思えば、この選択は正しかったと思う(聴きたい気持ちも正直あったけど)。そしてあまり耳を通してなかったこのアルバムを、もう一度ちゃんと聴いてみたいと思った。

途中から京都仲間でハラカミが「兄貴!」と呼ぶ、ダムタイプ高谷史郎氏が映像で加わり何曲か演奏した。難解ではないシンプルな映像で、時々音楽とリンクしてきて心地よかった。(『lust』のsuzukiskiの写真の雰囲気にも通じる)港湾の風景がずっと流れているときの曲が、個人的にはこの日のベストだった。レイ・ハラカミの奏でる音楽には、哀愁、郷愁など「愁」という文字が表わす感情(こんなとき表意文字は便利)をかきたてられることがある。たとえるなら、クラフトワークの「コンピュータ・ラヴ」とか。踊らずに少し下を向いて、音の響きを受け止めるようにして聴いていた観客が多かったのもうなずけた。

ライブとしては曲順・構成に留意するとさらにマジックが生まれるような気がした。今回みたいな長時間の一人ライブは今後も続けていってほしい。オールナイトではなかったので電車がなくなる前にライブは終了したが、あんな美しい音だったら何曲でも何時間でもアンコールしたいものだ。

 
2005.12
さとがえるコンサート2005(NHKホール)

毎年恒例の「さとがえる」。今年は久々にコンサートグッズをお手伝いしたこともあり、12月4日(日)のNHKホールでのライブに二年振りに伺うことができた。

2003年のさとがえるで突然披露された「終りの季節」で、レイ・ハラカミとのコラボはすでにはじまっていた。「終りの季節」は今年リリースされたアルバム『lust』に、「さとがえる」の時のバック・トラック+ハラカミさん本人の歌入りで収録された。同じ時期にはくるりとの共演も果たしていて、それは2004年のアルバム『ホントの気持ち』に結実した。矢野さんの2003年末以降の動きはそれまでに増して新しい時代へのアンテナが鋭く感じられるし、なんか堂々と吹っ切れていて頼もしい。

「あんたがたどこさ」や「SOME DAY」などの前半の流れも力強かったが、この日のハイライトはやはり上記の二者の曲だった。くるりはあまり多く聴いたことはなかったが、この日歌った「窓」〜「青い空」は凄かった。いつものことながら十年前からの持ち歌みたいに歌いこなしていた。そして今年もレイ・ハラカミとのコラボに持って行かれた。二年前と同じようにステージ前に一人で出て歌ったのは「気球にのって」(THE BOOMの、ではなく)。曲の終盤でピアノの方に戻りバック・トラックのエンディングに合わせてピアノで共演するあたりでは鳥肌が立った。さとがえるが以前と比べてシンプルになるにつれて、矢野さんのステージでの表現はよりRawで、剥き出しになってきているような気がする。久々の立花ハジメさんの舞台美術もかなりRaw、剥き出しそのものだったし。

長い長いアンコールの最中にアンプやギターが次々と運び込まれ、再び現われた矢野さんと一緒に“GOD”がステージに登場すると拍手は巨大な黄色い歓声に変わった。GODを観るのは夏の北海道のフェス以来だったから、もはや他人のような気がしなかった。GODは上下オール・ピンクのスーツに、蛍光イエローグリーンのスポーティーなブーツを履きこなしていた。とてもOVER 50とは思えない。昔在籍していたバンドのヒット曲、モンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」(ピアノ=矢野顕子)と、来年早々にリリースされる『はじめてのやのあきこ』というミニ・アルバムにも収録される「ひとつだけ」(これは感動した!)を矢野さんとデュエットし、足早にステージを去っていった。もうみなさんにはGODが誰だかおわかりだろう。今年はいろんな場面でGODに強い力で魂を掴まれた(心臓マッサージ)。GODに限らずOVER 50の人たち(矢野さんもそう)のパワーに瞠目させられることの多いこの一年だった。